カジサック(梶原雄太)の年収は?芸人引退を賭けてYouTubeを始めた理由は?現在の嫁や子供の状況など

カジサック(梶原雄太)さんは、1980年(昭和55年)8月7日生まれ大阪府大阪市都島区出身。 実家の家族構成は、父親、母親、兄が二人の5人家族。 長男との年齢差は7歳離れていて、次男とは5歳離れています。 ただし、ご両親はカジサックさんが小学校2年生の時に離婚されており、母親のもとで育ってきました。 出身小学校は大阪市都島区内の学校のようですが詳細は不明。 大阪市立高倉小学校か大阪市立内代小学校のどちらかが可能性が高いようです。 小さい時から運動能力抜群で少年野球やサッカーをしていました。 当時の夢はサッカー選手になることで、めちゃめちゃ練習したんだとか。 その甲斐あってか、小学校高学年の時にサッカーの大阪大会で優勝し、大阪選抜に選ばれることも。 一方ヤンチャ小僧だったらしく、小学校低学年の時はスカートめくりをしていて学校の女の子にちょっかいを出していました。 実は昔から性欲が強くてその影響で子沢山になったのかな? 出身中学校は大阪府大阪市立高倉中学校。 中学校に上がりサッカー部に入り本気でJリーグを目指して頑張っていましたが、身長が伸びなかったことを悩みサッカー選手になる事は諦めました。 中学校時代にはサッカー以外にもやっていた事があります。 それはボクシング。 ある程度結果が出ていたのにこれ以上は無理だと判断し、他の事にシフトチェンジするのは何かと似ていると思いませんか? そう。 お笑い芸人からYouTuberに路線変更したのと似ています。 ある程度結果が出ていれば、普通はそれを続ける事が多いですが、続ける事で結果が出る人は一握り。 そしてほとんどの人は挫折して何もしなくなりますが、彼は諦める事なく次の道を探しました。 この経験は後に大きな糧になる事になります。 出身高校は大阪府太成高校(現在は太成学院大学高校)。 この時はヴィジュアル系バンドのボーカル兼ドラムを担当していました。 バンド活動に熱中していたカジサックさんは運動部系の活動はしていませんでしたが、ドラムの腕前はかなりのものだったようで、後にバラエティ番組や映画『ガキンチョ★ROCK』などで披露しています。 ちなみに『L’Arc-en-Ciel』の大ファンです。 高校卒業後は大学に進出する事なく、お笑い芸人の道に進む事になり吉本総合芸能学院(NSC)に入校。 NSC22期生にあたり同期に『ダイアン』『南海キャンディーズ 山里』『ウーマンラッシュアワー 村本』など、現在も活躍されている芸人さんが多いです。 当初はカジサックさんも西野さんも他の芸人さんとコンビを組んでいましたが、すぐに解散しお互いが相方を探している時に出会い、コンビを組む事になりました。 相方の西野さんに出会ったのは19歳の時 カジサックさんが相方の西野さんと『キングコング』を結成したのは1999年。 異例のスピード出世でお笑いコンテストを次々に攻略していきました。 1999年にNHK上方お笑いコンテストの受賞や2001年のM-1グランプリの決勝進出の件は以前の西野さんの記事の時で説明しているので今回は省きますね。 その後、フジテレビ系列で2001年から2012年まで続いた人気番組『はねるのトびら』のレギュラーメンバーに抜擢されました。 最高視聴率は20%を超える人気番組でしたが2012年9月26日最後に終了しました。 ところがカジサックさんは、はねトびで大事件を起こしていたのを知っていますか? そんなカジサックさんの年収を徹底調査しました!! ■プロフィール 本名:梶原雄太 愛称:かじ 生年月日:1980年(昭和55年)8月7日 出身地:大阪府大阪市都島区 血液型:B型 身長:163cm 職業:YouTuber、タレント、お笑い芸人 活動期間:芸人として1999年〜、YouTuberとして2018年10月から 多忙の末『飛んだ』梶原雄太失踪事件!! 知っていますか? カジサックさんは、はねるのトびら時代2003年2月から2003年5月芸能活動をストップしていました。 当時のキングコングの活動は多忙を極めるものでした。 TVやラジオのレギュラー番組を9本抱え東京と大阪を往復し、はねとびの収録はスタジオに2日間カンヅメ状態。 相方の西野さんは番組のリーダーに選ばれたこともありカジサックさん自身プレッシャーに感じていました。 さらに収録現場でも思い雨ように笑いが取れなかったことも相まって、プレッシャーに押しつぶされそうになっていました。 しかし当時のカジサックさんは周りに相談することをせず、自分の中に抱え込んで誰にも相談していなかったそうです。 周りに迷惑をかけないように気を張って大丈夫なふりをし、隠し続けていました。 そんな中、ラジオ番組の収録終わりの深夜の事。 […]

香川照之の年収は?母親は元宝塚のトップ女優!元嫁との関係と現在の彼女とは?

香川照之さんは1965年12月7日生まれで、東京都出身です。 家族構成は、父親は歌舞伎役者の三代目市川猿之助、母親は元宝塚歌劇団雪組トップ娘役の女優の浜木綿子さん。 しかし、1968年照之少年が3歳の時に両親は離婚し、その後は母親の浜木綿子が女手一つで育てました。 小学生から高校生まで暁星学園に通っていた。 現在、芸能界一のボクシング好きとして知られる香川さん。 今でも1ヶ月に100試合、年間通して1,200試合ほど観戦しています。 そのきっかけになったのは照之少年が13歳の時。 当時無名だった具志堅用高さんの試合でした。 1976年10月10日 WBC世界Jr.フライ級タイトルマッチ 相手はこれまで22戦21勝のファン・ホセ・グスマン選手 具志堅選手は無名だったものの、8戦全勝と注目されていました。 その無名の選手が当時の最強チャンピオンを倒したのを見て、熱狂しボクシングに夢中になりました。 ボクシングに夢中になったとはいえ学業も完璧にこなしており、成績はとても優秀で暁星学園では必修だったフランス語をすぐにマスターしたほどです。 高校在籍時も成績は常に優秀で、卒業後は東京大学に進学しました。 これは中学校の担任の先生が影響しています。 その先生に勧められ、母親と共に本気で東京大学を目指し、無事合格することができました。 東大文学部社会心理学科で1988年に卒業しています。 俳優を目指したきっかけは母親の影響ではなくバイトが嫌だったから! 香川照之さんは大学の夏休みに母親の紹介で、テレビ局のADのバイトをしていました。 しかしバイトをしていても面白みを感じられず、出演している俳優さんを見て『自分は絶対演じる方が向いている!絶対稼いでやる!』と思い、俳優を目指すようになりました。 そんな高学歴で野心あふれる香川照之さんの気になる年収を徹底調査しました!! ■プロフィール 本名:香川照之(かがわ てるゆき) 歌舞伎役者名:九代目 市川中車(きゅうだいめ いちかわ ちゅうしゃ) 愛称:カマキリ先生 生年月日:1965年12月7日 出身地:東京都 血液型:AB型 職業:歌舞伎役者、俳優、タレント、解説者(ボクシング) 活動期間:1989年ー 所属事務所:ロータス・ルーツ   ■母親は元宝塚歌劇団雪組トップ娘役で女優の浜田綿子さん 母親の浜木綿子(はま ゆうこ)(1956年撮影) 本名は香川阿都子(かがわ あつこ) 1953年に高塚音楽学校を経て、宝塚歌劇団に入団(宝塚歌劇団40期生) 入団当初から娘役として舞台に立ち、『恋人よ我に帰れ』や『青いサンゴ礁』などで存在感を発揮していました。 1961年4月30日に宝塚歌劇団を退団し、その後は舞台女優として活躍しました。 そこでも素晴らしい演技で観客を魅了し、1962年『悲しき道具』で文化庁芸術祭奨励賞、1973年『湯葉』でゴールデン・アロー賞演劇部門賞など数々の賞を獲得しました。 1980年代から2000年代前半にかけてテレビの2時間ドラマの主演女優を務めることが多く、『女監察医・室生亜希子』シリーズや『おふくろシリーズ』、『火曜サスペンス劇場』など様々なドラマに出演していました。 1965年に三代目市川猿之助と結婚したが、1968年に離婚。 息子の照之は母親の浜木綿子が引き取ることになったが、身内の協力もあり女優活動を継続することができた。 2014年には旭日賞受賞(きょくじつしょうじゅしょう)されています。 離婚という大きなことがあったが、それに屈することなく強くたくましいですね。母親というのは。 長い間活躍されていて、それなりに年収もあったでしょう。 年収というと安っぽくなりますが、相応の価値ある女優さんであることは間違いありませんね。 しかし、香川照之さんは父親よりなんでしょうか?   ■キャビンアテンダントの元嫁との関係と現在の彼女は? 香川照之さんは1995年12月に元キャビンアテンダントの知子さんと結婚されました。 二人の間には男の子一人、女の子一人の二人の子供を授かりました。 しかし2016年12月に21年という長い結婚生活にピリオドを打つことに。 その理由は、香川照之さんが映画やドラマで休みなく働いており、忙しさから家族内のコミュニケーションが少なくなりすれ違いが生じたから。 離婚に至るまでに約2年という長い時間をかけて代理人を立てて話し合いをしました。 ご自身も小さい時に両親が離婚していることもあり、子供には最新の注意を払った結果なのでしょう。 […]

藤森慎吾の年収は?タモリにチャラチャラしていると言われたのがチャラ男のいわれ!?田中みな実とはどうなった?

藤森慎吾さんは1983年3月17日生まれで、長野県諏訪市の出身です。 家族構成はお父さん、お母さん、お兄さん、お姉さん、慎吾さんの五人家族で、三人兄弟の末っ子として誕生しています。 家の裏が山だったので、小さい頃のおやつはそこでとれたイナゴや蜂の子などの自然の恵みを食べて過ごしていたそうです。 家が貧乏でいつも野沢菜のオニギリばかりだったことから、『オムライスを食べてみたい』とお母さんに頼んだことがあるそうです。 お母さんはオムライスを作ってくれましたが、作ったオムライスにケチャップで何を書いたらいいか悩みます。 そして、なぜか『ムスコ』と書いた…というエピソードがあります。 面白いお母さんですね! 藤森慎吾さんの出身小学校は、長野県諏訪市立高島小学校です。 藤森さんは子供の頃から活発で、当時はガキ大将でした。 小学校時代はリトルリーグに在籍して、野球に打ち込んでいました。 小学校時代から学校の成績はよく、学年でトップレベルでした。 小学校時代には、生徒会長を務めていたほどでした。 藤森さんの出身中学校は、香港日本人学校中等部です。 この日本人学校は、海外にある日本人学校でも最大級の規模を誇ることで知られています。 お父さんがセイコーエプソンに勤務しており、仕事の都合で中学1年生から3年生までの間、香港で過ごしました。 香港に渡ったのが1996年で、翌年の香港の中国返還を経験しています。 中学時代には野球部に入部していますが、実力のなさを自覚して中学1年生の時に辞めています。 また当時からバンドを組んでおり、ミスチルのコピーなどを演奏していました。 藤森さんの出身高校は、私立の共学の山梨県駿台甲府高校です。 藤森さんは高校時代にはラグビー部、サッカー部、写真部、ワンダーフォーゲル部など多くの部活動を渡り歩いています。 なお高校3年生の時に観た木村拓哉さん主演のドラマ「ビューティフルライフ」に感化され、美容師を目指しますが、近所の理容店が潰れたのを見て、すぐに挫折しています。 藤森さんの出身大学は、明治大学政治経済学部政治学科です。 大学入学後はテニスサークルに入会しています。 またシャ乱Qのコピーバンドをやっており、ライブハウスで演奏したこともあります。 当時はお笑いにさほど興味がありませんでした。 大学時代に自動車事故の受付オペレーターのアルバイトをしていた際に、後に相方となる中田敦彦さんと出会っています。 お笑い好きの中田さんの影響で藤森さんはお笑いに興味を持ち始め、中田さんの誘いもあって大学3年生の時にお笑い芸人になることを決意します。 そして大学4年生の時に、吉本総合芸能学院(NSC)東京校10期生として中田さんと共に入学しました。 タモリにチャラチャラしていると言われて「チャラ男」のキャラになった! そんな藤森慎吾さんの気になる年収を徹底調査しました! ■プロフィール 本名:藤森慎吾 愛称:しんご、チャラ男、チャラメガネ 生年月日:1983年3月17日 出身地:長野県諏訪市出身 血液型:B型 職業:お笑い芸人、俳優、歌手、司会者 活動期間:2003年-       ■田中みな実さんとの熱愛はどうなった! 2005年3月明治大学政治経済学部を卒業。 オリエンタルラジオとしての活動を本格的に始めます。 2004年のM-1グランプリでNSC在籍中ながら準決勝に進出し、リズムネタ「武勇伝」で一躍注目を浴びました。 2000年代後半からは主に漫才を行い、コンビではツッコミを担当。 M-1グランプリの準決勝やNHK新人演芸大賞の決勝に進出を果たしています。 2011年に「アゲぽよ〜!」「君、かわうぃーね」などの決め台詞を使う、チャラ男のキャラクターで再ブレイクを果たしました。 レギュラー出演していたバラエティ番組『笑っていいとも!』の楽屋裏でタモリさんに「お前はいつもチャラチャラしている」といじられていたことから誕生したもので、有吉弘行さんからは「やっと見つけたキャラクター」と評されています。 2011年にはユーキャン新語・流行語大賞にノミネートされましたが、候補語は「君、きゃわゆいネェ」と発音が異なっています。 また日本テレビ系『ショーバト!』などであやまんJAPANなどと共に披露したチャラい “合いの手” も人気を博しました。 2014年よりダンス&ボーカルユニット・RADIO FISHとしても活動しており、グループではSHAMANという肩書きでメインボーカルや作詞を担当。 2016年には「PERFECT HUMAN」が話題となり、年末には第67回NHK紅白歌合戦にも出場しました。 […]

早川信行(千鳥ノブ)の年収は?嫁はクラスのマドンナ⁉︎ツッコミのクセは『強い』じゃなく『スゴイ』理由

ノブさんは1979年12月30日生まれで、岡山県井原市出身です。 実家の家族構成は、父親、母親、お兄さんが二人、本人は末っ子。5人家族です。 出身小学校は井原市芳井小学校。 少年野球をやっており、ポジションはセカンドでした。 小学生の時からテレビが大好きで、卒業式の文集に書いた将来の夢は『日本テレビの社長』。 実家が東京ドーム20個分の山を所有しており大地主であり、そこの山の中に入っては山菜をたくさん撮って遊んでいたそうです。 マツタケが取れることもあったとのこと。 成績優秀であり、クラスからの人気も高かった。 中学校進学し、生徒会副会長に選ばれるほど。 中学生時代のノブさんはとっても真面目で生徒会副会長を努めていました。 出身中学校は地元の芳井町立芳井中学校(現在は井原市立中学校) 相方のダイゴさんに会うのは高校時代です。 ダイゴさんは当時不良だったのに対し、優秀で真面目な生徒会副会長のノブさん。 高校時代に出会った彼らはどのように仲良くなったのでしょうか? 高校時代に出会ったノブさんとダイゴさん。1年の時に同じクラスになり早速意気投合 出身高校は岡山県立笹岡商業高校。 高校生の体育の授業から仲良くなりました。 学校の体育祭ではダイゴさんが応援団長を務め、副団長をノブさんが務めていまいした。 仲は良かったがコンビを組んでお笑いとしての活動をすることはありませんでした。 ノブさん自身は当時からお笑いに興味があったが『自分には無理だろう』と諦めており、そのまま就職の道に進みました。 後にダイゴさんとコンビを組んで『千鳥』として大ブレイク!そんな『ノブ』こと早川信行さんの気になる年収を徹底調査しました! ■プロフィール 本名:早川信行(はやかわ のぶゆき) 愛称:ノブ 生年月日:1979年12月30日 出身地:岡山県井原市 血液型:A型 職業:お笑い芸人 活動期間:2000年ー   ■ダイゴさんに騙されて芸能界入り!それでもM-1グランプリで決勝進出 ノブさんとダイゴさんは高校の同級生ですが、この時にはコンビを組んでいません。 お二人が卒業したのはおそらく1998年(平成10年) ノブさんはその後、大学に進学することなく就職しています。 就職先は広島県福山市のシャープの福山工場でした。 そこで営業マンとして勤務していましたが、ダイゴさんからお笑い芸人をやろうと誘われたのは二十歳の頃。 ダイゴさんはノブさんを誘う際 『自分は大阪でピン芸人として売れている。お前は俺と一緒に漫才をやるだけで売れるんやで』 という、ほぼ詐欺師的な誘い方に乗ったそうです。 その誘いに二つ返事で承諾し、務めていたシャープの福島工場へ辞表を提出し退職しています。 ちなみにシャープの工場で勤務した場合の年収はボーナス含め約300万程度です。 2000年に千鳥結成!2003年にはM-1グランプリ決勝に出場し大きな注目を集めた 誘われ方はどうあれ、こんな短期間で結果が出せるのはすごいですよね! 単純に天才なのか。ちなみに同期には あるある探検隊のレギュラーや、インパルス、ロバート、森三中、椿鬼奴など今でもテレビで活躍している芸人さんが多く、当時から競争率は激しかったと思われます。 クセが『強い』ではなく『すごい』のは理由があった コンビ結成当初から漫才のネタで相方のダイゴさんが変な歌い方をするのに対して『今までにないツッコミ』を模索していました。 『アレンジ強いな!』『べろべろの酔っ払いか!』『路上ライブのミュージシャンか!』など色々試していました。 そのなかで『クセがすごいな!』とツッコんだところ、ダイゴさんが大笑いしたんです。 そこでノブさんはこう思いました。『クセが強い』はあっても『クセがすごい』という言葉は存在しない。 今までに無い言葉だけど意味はしっかり通じるし、実際に相方は笑っている。ナゼか?面白いからだ。 その後、『アメトーーーーク!』に出演した際初めてその言葉を発した際、会場がドッと笑った。 2016年に同番組の流行語大賞にも選ばれ、彼らを代表するツッコミフレーズになりました。 ■ノブの奥様は学校のマドンナ 高校時代のノブさんはモテモテで、バレンタインデーにはチョコを渡しにくる女子が行列を作っていたほどでした。 […]

竹内結子の年収は?死去、40歳。自殺か?

竹内結子さんといえば常に明るく笑顔でいて、バラエティ番組に出演しても違和感のない振る舞いに「親近感」のある女優として評判です。 しかし、この親しみやすい竹内さんですが、年収は一般人は親近感がもてないくらいあるのだとか…。 では、そんな竹内結子さんはどれほどの年収があるというのでしょうか?? 気になる年収を徹底調査しました!! ■プロフィール 竹内 結子(たけうち ゆうこ)さんは1980年4月1日生まれ、埼玉県所沢市出身です。 血液型はA型です 中学を卒業した春休みに友人と遊びに行った原宿でスカウトされたことが芸能界入のきっかけでした。 突然のスカウトにびっくりした竹内さんは姉に相談したそうです。 すると姉に「やることないのならやってみれば?」と言われ、それが後押しとなって芸能界入りします。 しかし、父親に相談せずにきめてしまったので、相当怒られたそうです。 高校は地元埼玉県新座北高校に進学します。 既に芸能活動を始めていた竹内さんですが、高校時代は意外にも暗い印象で、あまり可愛いくはなかったという声もあります。 しかし、若い頃の竹内さんの写真はやはりどれも今と変わらず整った顔立ちをしているので、可愛くないというのは「やっかみ」の可能性もありそうですね。 芸能活動を開始してから間もなく、CMやドラマデビューを果たします。 そして、19歳のときにNHK連続テレビ小説『あすか』のヒロイン役に抜擢され、その名が広く知られるようになりました。 2004年には『いま、会いにゆきます』の映画で中村獅童さんと共演し、2005年には獅童さんと交際を公表します。 そして、交際宣言の翌月には結婚しました。 実はこの時既に竹内さんは妊娠3ヶ月だったようです。 しかし、結婚から1年後、獅童さんの浮気が発覚。 酒気帯び運転だったうえに、元彼女であった女優・岡本綾さんが同乗していたようです。 その1年半後に竹内さんと獅童さんは離婚となり、親権は竹内さん側に渡り、竹内さんの結婚生活はわずか3年でピリオドを打つことになりました。 そして、2019年2月27日、俳優・中林大樹さんとめでたくゴールインします! 中林さんとは2009年公開の竹内さん主演映画『ジェネラル・ルージュの凱旋』で初共演したことをきっかけに知り合い、後に家族ぐるみの真剣交際に発展したそうです! 美男美女のお二人ですので、本当にお似合いですよね!中林さんも誠実そうな方ですので、今度こそ幸せなご家庭を築ける事でしょう! ■竹内裕子は性格がキツいって本当?! 竹内結子さんには「性格がキツい」という噂があります。 まず、その理由に中村獅童さんの母親・小川陽子さんとの確執があります。 獅童さんと離婚の際、歌舞伎の家柄上、後継者となる男児を手放すわけには行かず、親権争いがあったようです。 しかし、竹内さんは一歩も譲らず親権を取ったそうです。 そして、2013年に小川陽子さんが心不全でなくなり、執り行われた葬儀に竹内さんと子供は参列せず、供花だけを送っていたようです。 離婚したとはいえ、孫である子供だけでも参列してほしいと獅童さん側の親族は思っていたようですが、そこにはやはりこれまでの事情から参列に至らなかった複雑な心境あったのかもしれません。 この『梨園から親権を奪った』という状態が、竹内さんの「性格がキツい」と言われている理由の一つかもしれません。 また、2007年の沢尻エリカの「別に事件」に竹内結子さんの放った一言に大きな原因があると噂されています。 当時『クローズド・ノート』で共演した沢尻エリカさんと竹内結子さんですが、その舞台挨拶の際、沢尻エリカさんはその映画の役柄には全くそぐわない、ド派手な緑色のキャミソールワンピースと金色なカツラをかぶってきました。 それを見て竹内さんは「ギャートルズみたいで可愛いね」と言ったそうです。 そして、舞台挨拶中にその事でじわじわ怒りがこみ上げてきた沢尻さんが暴走してしまったというのです。 竹内さんは本気で可愛いと言ったか、はたまたあの映画にその格好で舞台挨拶にきた沢尻さんに腹ただしい気持ちで皮肉を言ったのか真相は分かりませんが、誰も触れることができなかった沢尻さんの衣装に触れた事で竹内さんは「性格がキツい」と噂されるようになったようです。 しかしながら、前述した内容においても、全て「当然」過ぎて、決して竹内さんが「性格がキツい」とはならないと思います。 「性格がキツい」というよりもは「正義感が強い」という方がしっくりきます。 いずれにしても、この綺麗な顔でズバッと言える竹内さんは本当に格好良い女性だと思います! ■竹内裕子の年収や収入は? さて、何年経っても映画にドラマ、CMに引っ張りだこで人気が衰ることがない竹内結子さんですが、一体どれほどの年収を稼いでいるのでしょうか?? 竹内さんほどの女優クラスではなんとCMのギャラが1本あたり3000万円ほどになるそうです! またドラマ出演料は、1話につき170万円、1クール10話~12話の放送があるので、1700万円~2000万円くらいになるそうです。 ということで調べてみると竹内結子さんの推定年収は・・2億円 ということでした!! やはり、大物女優となると億単位の収入になるようですね!凄いです! ■竹内結子の息子のお受験費用がとんでもないことに!! やはり年収2億円近く稼いでる竹内さんですので、息子の太郎君(2019年6月現在13歳)の小学校受験の際、一般人では想像できない費用を費やしたようです。 その額なんと年間720万円!! 小学校の受験対策をしている個別指導塾へ竹内さんは月に60万円費やしたそうです。 その甲斐あってか、太郎君は見事に名門青山学院へ合格したようです。 […]

関根勤の年収は?娘の関根麻里はアメリカの大学首席で卒業!?嫌いな人を作らない!?

関根勤さんは1953年8月21日生まれで、東京都港区の出身です。 実家の家族はお父さん、お母さん、2人のお兄さんとお姉さんと勤さんの6人家族で、勤さんは4人兄弟の末っ子です。 関根勤さんのお父さんの清さんは東京消防庁に努めており、高輪消防署などで消防士として働いていました。 勤という名前は、勤さんが生まれた年がお父さんの勤続25年目にあったたことにちなんでつけられました。 関根さんは学生時代はお父さんの影響で消防士を目指しています。 関根勤さんの出身小学校は、港区立高輪台小学校、出身中学校は、港区立高松中学校です。 中学生の頃からモノマネが得意で、話しも面白かったので当時からクラスの人気者でした。 関根さんの出身高校は、都立で共学の八潮高校です。 中学から高校時代はバスケットボール部に所属していましたが、スポーツはさほど得意ではなかったそうです。 関根勤さんの出身大学は日本大学法学部行政管理学科(現在は公共政策学科)です。 1974年に大学在学中に出演したTBS『ぎんざNOW!』の「素人コメディアン道場」で5連続勝ち抜き、週初代チャンピオンとなります。 その時の審査員の一人だった浅井企画社長・浅井良二さんに見出され、芸能界デビューを果たしました。 コサキンビデオ『マントヒヒ』内での回想によれば、放送後に浅井社長と川岸副社長に呼び止められ、近くの喫茶店で詳細について話し合ったという。 関根さん自身はプロの芸人になるつもりはなかったので回答を渋っていましたが、それまで沈黙していた浅井さんが「君なら出来る! 君なら出来るよ! ウチはコント55号を育てたんだから。明日の朝10時に事務所に来なさい!太陽神戸銀行の横!」と一方的に捲し立てられ、翌日、事務所を訪れるとそこには浅井さんが契約書を持って待ち構えていたとのこと。 嫌いな人を作らない! そんな関根勤さんの気になる年収を徹底調査しました! ■プロフィール 本名:関根勤(せきね つとむ) 愛称:ラビ― 生年月日:1953年8月21日 出身地:東京都港区出身 血液型:A型 職業:お笑い芸人、俳優、歌手、司会者 活動期間:1974年-       ■娘の麻里さんを毎日笑わせて育ててきた! プロデビューに際して、TBSラジオ『ヤングタウンTOKYO 桂三枝の大放送』の前説を務めていた縁で、桂三枝さん(現:六代目桂文枝)が1975年の干支であるうさぎ年に因み「ラビット関根」という芸名を名付けました。 千葉真一さん・ジャイアント馬場さん・長嶋茂雄さんなど、これまでやり手のいなかった人物のモノマネで次第に注目されます。 日本テレビ系列の『カックラキン大放送!!』では、「バカバカしいと思うなよ。やってる本人、大真面目!」と歌いながら披露する「カマキリ拳法」や、「田村正和拳法」などのシュールかつ特異なネタを編み出しました。 更にテレビ朝日系列の『欽ちゃんのどこまでやるの!?』に、事務所の後輩で親友でもある小堺一機さんと組んだ「コサキン」(当初は「コサラビ」)のコンビで出演し、「クロコとグレコ」で人気を博します。 関根さんと小堺一機さんがコンビ「クロコとグレコ」を組んでいた時、師匠である萩本からアドバイスをもらえなかったことがあります。 当時は嫌われていると思っていた関根さんでしたが、師匠の萩本さんは二人が打たれ弱いと性格だとわかっており、アドバイスをして萎縮しないように、あえて言わなかったそうです。 またこの時期に、萩本欽一さんの指示で、芸名を本名と同じ関根勤に改めています。 1985年にはフジテレビ系列『森田一義アワー 笑っていいとも!』にレギュラー出演を開始し、全国区の知名度を得ます。 同番組に男女合わせた全レギュラーの中で、司会のタモリを除いて歴代最長の29年間出演しました(1985年4月から2014年3月の番組終了時まで)。 同じく1985年から小堺さん主演の舞台『小堺クンのおすましでSHOW』に出演。 1989年には自らを座長とした舞台『カンコンキンシアター』をスタートさせ、テレビ以外にも活動の幅を広げました。 また、コサキンコンビでメインパーソナリティーを務めたTBSラジオの番組『コサキンDEワァオ!』は、1981年のスタート以来放送時間や番組タイトルを変えながら、深夜番組としては驚異の27年半という記録を打ち立てた長寿番組となりました(2009年3月放送終了)。 同番組からは小堺さんとの共著を含む数十冊の著書の他、「コント劇場」のビデオ、CD-ROMなどが出版されたり、人気コーナー「似てねェモノマネ」で、現在の芸風の基盤であるモノマネの世界を作り上げています。 2010年代以降もバラエティ番組を中心に第一線で活躍、ターゲットをごく一部に絞るような独特のモノマネやコメントで、老若男女問わず根強い人気を維持しています。 2015年5月23日に、初監督作品映画『騒音』が公開。 今作ではタレントのタモリや明石家さんまなどの豪華キャストが出演しています。 また、主題歌はお笑いコンビの「どぶろっく」に決まりました。 2016年11月よりブランド買取店「なんぼや」 のイメージキャラクターに就任。 関根勤は大学3年生まで全くと言っていいほどモテていませんでした。 しかし大学3年生のときに、成城大学の1年生であった後に奥さんとなる女性が関根勤さんの友人の大学に演劇の手伝いに来ていて、出会いました。 そこからほぼストーカー状態になりましたが、相思相愛であったので結婚することとなりました。 結婚する前に、奥さんの家に行ったときに、奥さんが家族にとても大切にされているのを感じて「ああ、これは一生守っていかなきゃな」と思ったようです。 関根勤さんは嫌いな人を作らないようにしているそうです。 ホンジャマカの恵俊彰さんが関根勤さんと以前番組で共演した際、関根勤さんが「僕は嫌いな人を作らないようにしています」と恵さんに語ったと明かしました。 […]

名倉潤(ネプチューン)の年収は?嫁は渡辺満里奈!?ハーフ!?

名倉潤さんは1968年11月4日生まれで、兵庫県姫路市出身です。 実家の家族構成は、お父さん、お母さんと3人のお兄さんと潤さんの6人家族です。 名倉潤さんの出身小学校は姫路市立大津小学校です。 以外にも子供の頃は非常に人見知りな少年でした。 実家は経済的に困窮していて、子供の頃は肉を食べた記憶がないくらいでした。 小学校時代は足が速く、リレーの選手などを務めています。 その反面、勉強は苦手でした。 名倉さんの出身中学校は兵庫県姫路市立広畑中学校です。 中学校時代の名倉さんは、非常にやんちゃで、学校の屋上でタバコを吸ったり、ケンかをしたりしています。 またしょっちゅう学校の授業をさぼっていました。 名倉さんは、中学校時代は部活動に参加していません。 当時は女子にモテていて、中学校時代は2人の女子と交際経験があります。 名倉さんの出身高校は兵庫県市川高校。 私立の共学の仏教系の高校です。 同校は部活動が盛んで、特に相撲部は全国的な強豪です。 当初は、高校を卒業したら経理の専門学校に行くつもりでしたが、お母さんに懇願されて親孝行のつもりで高校に進学しました。 ただ高校は地元の姫路市から離れたところにあったため、朝5時半に起床して通っています。 そのためか高校時代も部活動は行っていません。 同校は、当時非常に荒れていて、反社会的勢力の息子が多数在籍していました。 名倉さんは当時から絶妙なツッコミをしていたため、いろいろな人からお笑いコンビの結成を持ちかけられていましたが、すべて断っています。 高校時代の名倉さんは女子にモテていて、追っかけがいたほどです。 名倉さんは遊び人で、たびたび神戸のディスコに遊びに行っています。 高校時代の成績は悪く、お金を稼ぐには芸能界に入るしかないと思っていて、当時は俳優を志していました。 原田泰造さんと堀内健さんとお笑いトリオ「ネプチューン」組んで大ブレイク! そんな名倉潤さんの気になる年収を徹底調査しました! ■プロフィール 本名:名倉潤(なぐら じゅん) 愛称:潤ちゃん、リーダー 生年月日:1968年11月4日 出身地:兵庫県姫路市出身 血液型:AB型 職業:お笑い芸人、タレント、実業家 活動期間:1986年-       ■妻渡辺満里奈さんとはけんかもせずに仲がいい! 高校卒業後は、俳優を目指して上京していますが何をして良いかわからず、俳優養成所に通いながらアルバイトをして生活していました。 ちなみに名倉さんが俳優を目指していた頃に、「ハートに火をつけて」「もっとあぶない刑事」などのテレビドラマにエキストラとして出演しています。 21歳だった1989年にお笑い芸人に転身して、渡辺勝彦さんとお笑いコンビ「ジュンカツ」を結成しています。 同じ年にワタナベエンターテイメントのオーディションに合格してプロの芸人としてデビューしていますが、当時のギャラは1本2000円だったこともあります。 その後渡辺勝彦さんが引退して、ピン芸人として活動していますが、全く売れませんでした。 1994年にツッコミがいなかったお笑いコンビ「フローレンス」の原田泰造さんと堀内健さんと意気投稿してお笑いトリオ「ネプチューン」を結成しています。 トリオは1995年に「ボキャブラ天国」に起用されるといきなりブレイクしています。 2005年4月5日に、『銭形金太郎』で共演していたタレントで元おニャン子クラブの渡辺満里奈さんとの結婚を発表。 10月に関係者だけで行われた結婚披露宴では、堀内さん、原田さんが祝辞でこれまでのネプチューンの苦労話をし、それを聞いていた名倉さんが号泣したそうです。 しかしおニャン子クラブが流行っていた当時は一応高校生ではありましたが、おニャン子には全く興味が無くておニャン子のこともよく知らなかったので、当然妻の渡辺満里奈がおニャン子の元メンバーだということにも最初は全く気付きませんでした。 2007年12月9日、第一子となる男児が誕生。 2010年6月24日には第二子となる女児が誕生。 2010年11月19日、中目黒に名倉潤さんプロデュース店「ステーキなぐら」を開店、名倉さんのお兄さんで長男の名倉良知さんが店長を務めています。 2018年6月末に頚椎(首)椎間板ヘルニアの手術を受けて7月10日より2週間の休養をしていましたが、7月20日に復帰すると発表。 2019年8月1日、前年6月末に行なった頚椎椎間板ヘルニア手術の術後ストレスにより発症したうつ病のリハビリのため、同日より2か月間の休養に入ることが発表されました。 10月11日、『じっくり聞いタロウ〜スター近況(秘)報告〜』(テレビ東京)の収録から仕事復帰。 顔つきや体格から、「実は日本人ではなくタイ人」とネタにされますが、ハーフですらありません。 タイ人ネームとして「ナパ・キャットワンチャイ」(有名元プロボクサー)をもじった、「ナパ・チャット・ワンチャイ」と称されます。 後輩のイモトアヤコさんからはラオスの人に似ていると言われています。 妻の渡辺満里奈さんは、名倉さんと結婚を決意してその旨を両親に伝えた際にお母さんに「あの方(名倉さん)は、タイの方でしょう?国際結婚になるけどいいの?」と言われたエピソードを語っています(後に、お母さんのブラックジョークだったことが分かり笑い話にしているという)。 […]

三村マサカズ(さまぁ〜ず)の年収は?実家は町工場!?奥さんしか愛していない!?

三村マサカズさんは1967年6月8日生まれで、東京都墨田区出身です。 実家の家族構成は、お父さんとお母さんとお兄さんとマサカズさんの4人家族です。 お父さんは研磨の技術者で、研磨の町工場を経営していました。 三村さんの出身中学は墨田区立吾嬬第三中学校です。 子供の頃のあだ名は「エースくん」で、反抗期もなく、手のかからない子供だったそうです。 実際に小学校・中学校とスポーツが得意で頭も良かったのが、中2の時に急に成績が下がり、トップの常連だったのが下から数えた方が早い程になりました。 急に頭が悪くなった理由が一切わからず「頭のネジが外れたとしか思えない」と語っています。 行ける高校が無くなってしまった為、教師から単願推薦で受験するように勧められ、それまで狙っていた当時の進学校だった東京都立小岩高等学校は受験できませんでした。 三村さんの出身高校は、東海大学付属高輪台高校電気通信科です。 現在同校は共学化していますが、三村さんが在籍していた時は男子校で普通科のほかに電気通信科などの工業科もありました(後に廃止)。 この高校で、後にコンビを組む大竹一樹さんと出会います。 同時期にタレントの坂上忍さんも同校に入学していましたが、お互い面識のないまま中退しています。 三村さんは高校卒業後は、大学に進学していません。 21歳の時に高校時代から仲の良かった大竹さんともうひとりの友人と「しゃぶしゃぶトリオ」を結成します。 ところがその友人が別の人とコンビを組むことになり、三村さんは大竹さんとコンビで活動することになりました。 そして既にホリプロからスカウトを受けていた高校時代の友人と一緒に事務所へ遊びに行った際に所属が決まりました。 一本の映画の中で演技が成長していくタイプ! そんな三村マサカズさんの気になる年収を徹底調査しました! ■プロフィール 本名:三村勝和(みむら まさかず) 愛称:ミムちゃん、タマ職人 生年月日:1967年6月8日 出身地:東京都墨田区出身 血液型:A型 職業:お笑い芸人、司会者、タレント 活動期間:1988年-       ■「奥さんしか愛していない」と発言! 大竹一樹さんと、1989年にコンビ「バカルディ」としてデビューしますが、2000年にTBSのバラエティー番組『新ウンナンの気分は上々。』の企画で、海砂利水魚(現・くりぃむしちゅー)と対決し敗北した罰ゲームとして、コンビ名を「さまぁ〜ず」に改名させられました。 2000年バラエティ番組のエジプトロケで、夕食時に三村さんがウサギの肉を食べるリアクションに対し、ヒロミさんが強烈なダメ出しをしたことにショックを受け、以前からヒロミさん自分への当たりの強さへの不満が相重なり、それ以降、三村さんはヒロミさんとの共演NGとしていました。 事前にハワイで両者の共通の友人である木梨憲武さんの仲介もあって、2014年3月31日に放送の『笑っていいとも!! グランドフィナーレ感謝の特大号』でのスピーチで、ヒロミさんが嫌いだったことを告白しています。 更に千原ジュニアさんの仲介で、千原さんがヒロミさんを呼んで15年ぶりの共演。 そこで三村さんの思いをヒロミさんは真摯に受け止め反省し、最後に一緒に仕事をすることを約束して因縁は解消されました。 2003年第41回ゴールデン・アロー賞芸能賞を受賞。 2005年1月に放送された特別番組『笑いの祭典!! ザ・ドリームマッチ’05』(TBS系)では、田中直樹さん(ココリコ)とのコンビで優勝し賞金500万円を獲得。 2006年1月、内村光良さん(ウッチャンナンチャン)監督の映画『ピーナッツ』に出演。 この映画の監督だった内村光良さんは、「三村はテイクの度に演技がオーバーになっていき、最初は『野球やりてーなー』としんみり語る台詞だったのが、最終的にはいつものツッコミのテンションで『野球やりてっ!』と叫んでいた」というエピソードを語り「一本の映画の中で演技が成長していく珍しいタイプ」と話しています。 2007年1月特別番組『史上空前!! 笑いの祭典 ザ・ドリームマッチ’07』(TBS系)に出演、志村けんさん(ザ・ドリフターズ)とのコンビで優勝。 2010年12月『ウンナン極限ネタバトル! ザ・イロモネア 笑わせたら100万円SP』に内村光良さんとのコンビ「三内芸」として出場し、100万円を獲得。 2015年9月映画『内村さまぁ~ずTHE MOVIE エンジェル』に主演。 2014年からはNHKを含む全てのキー局で同時にレギュラー番組を持つなど、幅広く活躍しています。 さまぁ~ずがまだバカルディだった頃の1996年に現在の奥様と結婚。 奥様との交際はきっかけは、相方である大竹さんと同じレストランでアルバイトをしていたところ、同じバイト先で働く女性と大竹さんを付き合わせるために三村さんが尽力していましたが、逆に三村さんがその女性を好きになってしまったことにあります。 当時、バカルディ(さまぁ~ず)はお笑いコンビとして日の目を見ておらず、苦しい生活をおくるなかで三村さんが用意した結婚指輪は、なけなしの5万円で選んだものだったそうです。 早々に結婚したこともあり自身の恋愛観について語ったことは多くなく、「奥さんしか愛していない」と発言するほど奥様のことが大好きで、SNSなどで家族団欒の風景をよくアップしています。 特に目立った浮気の噂もなく、結婚歴20年を経過した今も一途に愛しているのを見ると理想の相手を見つけたと言えるでしょう。 性格は天然ボケです。 […]