北大路欣也の年収は?若い頃のかっこいい画像!半沢直樹の役、中野渡謙に見劣りしない学歴!

北大路欣也さんは1943年2月23日生まれで、京都府京都市出身です。 家族構成は父親、母親、兄、姉の5人家族です。 小学生の時は京都市立紫竹小学校。 その時は大の車好きだった欣也少年はバスの運転手を観察して運転方法を学び、覚えたんだとか。 車が大好きで自分で動かしたくなった欣也少年はある日、バス停留所へ忍び込みバスを数メートルほど動かしたんです。 もちろんすぐに見つかり職員の方からこっぴどく叱られました。 現在は174cmとこの年代にしては高身長ですが、小学生の時は好き嫌いが多く栄養バランスが偏っていたためか、当時クラスで一番背が低かったです。 ということはバスを数メートル動かしたのは、ハンドルやギアの操作が出来たからでしょうね。 もしもっと身長が高く、アクセルまで足が届いていたらどうなっていたでしょう。。。 中学生の時は同志社香里中学校から暁星中学校に編入。 最初は大阪府寝屋川市にある同志社香里中学校に片道2時間半かけて自転車で通学していましたが、俳優として標準語を身に付けたいという理由から東京の暁星中学校へ編入することになりました。 この頃から現在の趣味である、芸術や絵画に触れています。 中学時代に絵画コンクールで知事賞を受賞するなど芸術のセンスがありました。 高校生の時は半沢直樹で共演した香川照之さんと同じ暁星高等学校。 当時は俳優活動以外では目立った活動をしていなかったのか参考記事が見つかりませんでした。 大学は早稲田大学で第二文学部演劇専修を卒業されています。 父親も人気俳優!欣也少年の俳優デビューは13歳の時! 1956年の映画『父子鷹』で勝海舟の少年時代役を演じ、父親の市川右太衛門に付き添われてデビュー。 デビューの年齢は13歳。 北大路欣也さんの父親は映画俳優の市川右太衛門。戦前、戦後の時代劇スターとして活躍していました。 元々歌舞伎役者でしたが映画俳優となり、人気役者として活躍しました。1966年に引退されています。 若い頃から活躍されている北大路欣也さんの気になる年収を徹底調査しました!! ■プロフィール 本名:淺井将勝(あさい まさかつ) 愛称:きんやちゃん 生年月日:1943年2月23日 出身地:京都府京都市 血液型:A型 身長:174cm 職業:俳優 趣味:スキューバダイビング、読書、絵画、ゴルフ、クレー射撃等 所属事務所:ホリプロ・ブッキング・エージェンシー 活動期間:1956年ー ■若い頃からかっこいい北大路欣也さん!その画像がこちら 北大路欣也さんは父親が人気俳優だった為、今で言う二世スターのような扱いでした。 同じ東映の二世スターで同級生の松方弘樹さんとライバル視されており、ふたりはお互いに対抗するように売り出され、 松方弘樹さんの場合は『東映城の暴れん坊』 一方北大路欣也さんの場合は『東映城のプリンス』 なぜプリンスか?次の若い頃の画像を見れば分かります。 映画の初主演を果たしたのは1958年に『少年三国志』で当時15歳。 1963年には映画『海軍』で当時主演するはずだった千葉真一さんとの配役と入れ替えてもらい、現代劇初主演を果たしたのが、20歳の時でした。 10代の頃は俳優業にあまり興味がなく、親の言う通りやっていたが早稲田大学卒業後演劇の道に進むことに! 大学卒業後、1964年に『シラノ・ド・ベルジュラック』で舞台デビューし、その後時々劇団四季に客員参加していたのが21歳の時。 1968年25歳の時に大河ドラマ『龍馬がゆく』で主演を務め、その後の大河ドラマ『独眼竜政宗』『北条時宗』など多数出演しています。 北大路欣也さんが若い頃(〜30歳まで)出演した映画やドラマ一覧↓↓↓ 映画 1956年 父子鷹 13歳 1957年 黄金の伏魔殿 14歳 1958年 少年三国志 15歳 1959年 旗本退屈男 謎の南蛮太鼓 16歳 1960年 旗本退屈男 謎の幽霊島 17歳 1961年 葵の暴れん坊 18歳 1962年 よか稚児ざくら 馬上の若武者 19歳 1963年 海軍 20歳 1964年 狼と豚と人間 21歳 […]

川島海荷(9nine)の年収は?高校はどこ?水着姿がかっこいい!?

川島海荷さんは、1994年3月3日生まれで、埼玉県新座市の出身です。 家族は、ご両親と海荷さんと弟さんと妹さんの5人家族です。 海荷という名づけは「祖父」で、海が好きな祖父が家族の女性全員の名前に付けている「海」と蓮の花を意味する「荷」を合わせ、「泥の中でも咲く蓮の花のような強い女の人になってほしい」と願いを込めてつけられました。 川島海荷さんの出身小学校は新座市立大和田小学校です。 小学校時代は1人で一輪車で遊ぶのが好きな内気な女の子でした。 学校では川島海荷さんは教室でも隅っこにいる地味な存在で、多くの人に見てもらう仕事をするとは想像しなかったそうです。 またジーパンにGジャンが一番のおしゃれだと思っていたおませさん。 勉強は数学が一番得意でした。 お正月は家族で手作り水餃子を食べるのが恒例で、おせちを食べる習慣はあまりなかったそうです。 小学6年生だった2005年9月、渋谷にいたところをスカウトされてレヴィプロダクションズ(現 レプロエンタテインメント)に入所し芸能界デビューを果たしています。 初めての仕事は立川伊勢丹の広告でした。 出身中学校は新座市立第二中学校で、中学一年生で子役デビューを果たしたり、アイドルグループ「9nine」に加入しCDデビューも果たしています。 芸能活動に忙しかったことが想像されますが、それでも学校では吹奏楽部に所属しフルートを担当するなど、積極的に学校にも参加されていたそうですよ。 川島海荷さんの出身高校は、多くの芸能人が通うことで有名な堀越高校芸能コースです。 より幅広く芸能活動ができるようこちらの高校に進学されたのでしょう。 堀越高校の同級生には神木隆之介さんや知念侑李さんさん、山田涼介さんなど豪華なメンバーがいて、「華の93年組」と呼ばれていたそうですよ。 高校時代には映画初主演を果たしたり、話題のドラマに出演されるなど、さらなる飛躍を遂げています。 とても多忙で仕事中心の日々だったことは間違いないですが、2012年明治大学文学部に合格されています。 受験したのは一般入試ではなく、AO入試です。 とても努力家で真面目な方なのでしょうね。 楽しい性格だが、頑固なところも! そんな川島海荷さんの気になる年収を徹底調査しました! ■プロフィール 本名:川島海荷(かわしま うみか) 愛称:うみかちゃん 生年月日:1994年3月3日 出身地:埼玉県新座市出身 血液型:O型 職業:歌手、女優 活動期間:2006年-       ■趣味は貯金と、堅実な性格! 2007年8月『Life 天国で君に逢えたら』で映画初出演。 2008年10月、連続テレビドラマ『ブラッディ・マンディ』で主人公の妹役として出演して、その演技力が注目されます。 2009年『カルピスウォーター』のCMキャラクターに起用されました。 これまでに後藤久美子さんや内田有紀さん、長澤まさみさんなどの人気タレントが担当してきた同CMのイメージキャラクター。 川島さんは、節目となる10代目の肩書きを背負って立ちました。 2009年10月『携帯彼氏』で映画初主演。 『国際ドラマフェスティバル in TOKYO 2009』の『東京ドラマアウォード』にて新人賞を受賞(ドラマ『アイシテル〜海容〜』)。 2009年11月『第88回全国高校サッカー選手権大会』の5代目応援マネージャーに就任。 ちなみにサッカー日本代表の中では「キーパー=守ってくれそう」という印象から、川島永嗣さんが好みなのだそう。 2010年7月主演映画『私の優しくない先輩』の主題歌「MajiでKoiする5秒前」を「Umika as Yamako」の名義で歌い、ソロ歌手デビュー。 同映画ではお笑い芸人・金田哲さんと初のキスシーンに挑みました。 2011年1月Friday Break枠『ヘブンズ・フラワー The Legend of […]

北原里英(AKB48)の年収は?うなぎいぬって本当!?初恋の人は?

北原里英さんは1991年6月24日にお母さんのの実家近くの岐阜県内の病院で生まれました。 体重は2840グラム。 家族構成はお父さん、お母さん、北原里英さん、弟さんの4人家族です。 愛知県の自宅で育ちました。 子供の頃はとにかく元気で活発な女の子で、大病も怪我もせず健康的に成長しています。 家が自営業だったため、誰にでも笑顔で駆け寄っていくような、今とは違い愛想の良い性格でした。 幼稚園のお遊戯会では主役を務めるなど、昔から人前に立つのは好きでした。 初恋はタクミくんですが、なんで好きになったのかも全然覚えていません。 本当の初恋は小4で、面白くてハンサムだった同級生の翔くんです。 席も近くて、いつも一緒に遊んでいました。 中学生になると、さらに格好良く成長し、みんなに憧れられる様な存在になりました。 自分は見る目があったと、自己満足に浸っていました。 小学校3~4年の頃に視力が落ち、メガネをかけたら、ひどくブサイクになったので視力回復センターに通ったりしています。 中1の時にコンタクトに変えます。 部活はハンドボール部に所属。 苦手な球技でしたが、あえて挑戦してみたかったとのことです。 強豪校だったので練習はきつかったですが、部活に明け暮れた中学時代は、人生の黄金時代でした。 中学時代は人を笑わせることが大好きで、オリエンタルラジオのネタを友達と完コピしていたという楽しいエピソードもあります。 目立つことや、人を笑わせることが好きな女の子だったようです。 高校生になり、女の子に目覚め、真っ黒に日焼けした自分を見つめ直すようになります。 部活もインドアの吹奏楽部に入部し、パーカッションを担当していました。 大きな目とたらこ唇でうなぎいぬと呼ばれて! そんな北原里英さんの気になる年収を徹底調査しました! ■プロフィール 本名:北原里英(きたはら りえ) 愛称:きたりえ 生年月日:1991年6月24日 出身地:愛知県一宮市出身 血液型:A型 職業:歌手、女優、アイドル 活動期間:2008年- ■新潟の女になりました! 高校1年生だった2007年に「AKB48 第2回研究生オーディション」に合格しました。 オーディションの歌唱審査の時に歌った曲は、エヴァンゲリオンの主題歌『残酷な天使のテーゼ』。 しかし「最初の“神話にな~れ~♪”のところで声が裏返ってしまいました」と語っています。 2008年に上京。 上京してからは、指原さん(大分県出身)、大家志津香さん(福岡県出身)、元研究生の冨田麻友さん(香川県出身)、元SKE48の中西優香さん(愛知県出身)と共に1か月半生活していた時期があります。 特に大家さんとは約2年間にわたりルームメイトで、「東京の家族」と呼ぶほどの仲。 2010年時点は隣同士に住んでいました。 また、この5人は自分達のことを「地方組」と呼び合っています。 上京して学校も転校し、転校後は堀越高校トレイトコースに入学。 堀越高校とはいえ、全日制の高校に通うことは難しくなっていき、日出高校の通信制へと編入します。 高校卒業後も大学進学はしていませんが、当時のAKB48の人気はうなぎ登りだったので、とても通う余裕はなかったでしょう。 2008年7月には正式メンバーに選ばれ、10月には10thシングル「大声ダイヤモンド」で初めて選抜メンバーにも選ばれ、以降18thシングル「Beginner」までの全シングルで選抜メンバー入りを果たすなど、かなり多忙な日々だったようです。 2008年3月1日、チームB 3rd Stage「パジャマドライブ」公演における楽曲「純情主義」のバックダンサーでデビュー。 10月22日、10thシングル「大声ダイヤモンド」で初めて選抜メンバー入りを果たし、以後18thシングル「Beginner」までの全シングルで選抜入りします。 2010年2月17日、15thシングル「桜の栞」で初のフロントメンバーに選ばれ、2ndアルバム『神曲たち』でも通常盤ジャケットのフロントメンバーに選ばれました。 8月13日放送開始の『学校のコワイうわさ 新・花子さんがきた!!』では、ホワホワ役で声優デビュー。 2011年1月21日、『AKB48 リクエストアワーセットリストベスト100 2011』の2日目公演アンコールにて、大島優子さん・指原莉乃さん・横山由依さんとユニット「Not […]

黒柳徹子の年収は?年齢は?実はオペラ歌手になりたかった!?徹子の部屋のギャラがやばすぎる!

黒柳徹子さんは1933年8月9日東京都港区乃木坂で、ヴァイオリニストの父黒柳守綱さんと母黒柳朝さんのもとに生まれました。 父親の黒柳守綱さんはNHK交響楽団のコンサートマスターをしています。 母親の黒柳朝さんは著書『チョッちゃんが行くわよ』で自身と家族を描きNHK連続テレビ小説でドラマ化されています。 男兄弟は全部で3人いますが、兄は夭折。 弟の黒柳紀明さんは父の後を継いでヴァイオリニストになり、フロイデフィルハーモニーで第二ヴァイオリニストのトップを務めています。 妹の真理さんは元バレリーナ、エッセイスト、美容家で、ボリショイ・レニングラードバレエ団でプロのバレリーナとして活躍。 黒柳徹子さんは子供の頃は注意欠陥、多動性障害、学習障害であったと言われています。 トモエ学園から香蘭女学校を経て、東京音楽大学声楽科を卒業。 オペラ歌手になることを希望していましたが、夢が叶わず、1953年に6000人集まった『NHK放送劇団』の俳優募集のオーディションを受け、採用された13人のうちの1人に残りテレビでの女優第一号になりました。 面接では家族のうちでも両親から「そんなみっともない仕事をするのか」とか「そういう世界は騙そうとする人が多い」などと言われたことを暴露しましたが、見事に合格しました。 音楽の道から女優へ。 そんな黒柳徹子さんの気になる年収を徹底調査しました!! ■プロフィール 本名:黒柳徹子 愛称:とっとちゃん、ちゃっく 生年月日:1933年8月9日 出身地:東京都港区乃木坂出身 血液型:A型 職業:女優、タレント、声優、司会者、エッセイスト、ユニセフ親善大使 ■さまざまなキャラクターを演じ、『徹子の部屋』で主婦の人気者に! 初めは独特の個性が邪魔をして仕事に恵まれませんでしたが、劇作家の飯沢匡(ただす)氏と出会ってから個性を活かして才能を開花させました。 1954年NHKラジオ第1で放送されたラジオドラマ『ヤン坊ニン坊トン坊』で三男のトン坊役を演じて一躍有名に。 以降も『チロリン村とくるみの木』『ブーフーウー』などに出演し、さまざまなキャラクターの声を演じました。 1958年25歳の若さで第9回NHK紅白歌合戦の司会に選ばれました。 この最年少記録は今も破られていないそうです。 1961年には第1回日本放送作家協会・女優賞を受賞。 1971年からは1年間アメリカ、ニューヨークのメリー・ターサイ演劇学校に留学。 1976年には『徹子の部屋』の放送が開始。 同年「主婦が選んだテレビパーソナリティーNO.1」に初めて選出され、1989年まで14年連続で選出されました。 1978年からは久米宏氏とともに最高視聴率41.9%を記録する大ヒットとなったTBSの音楽番組『ザ・ベストテン』の放送が始まり、1989年までの11年間続きました。 ■『窓ぎわのトットちゃん』が大ベストセラーに!文化功労者にも選ばれる! 1981年自身の子供の頃を描いた『窓ぎわのトットちゃん』が出版され、累計で800万部を数える大ヒットを記録し、35か国で翻訳されました。 戦後最大のベストセラーで大ブームを巻き起こしました。 それにより1982年園遊会に出席した際には、昭和天皇に『窓ぎわのトットちゃん』について部数と翻訳国数を交えた説明をしたところ、「たいそうお売れになって」と言われたエピソードがあります。 『窓ぎわのトットちゃん』の日本語版の印税で社会福祉法人トット基金を設立。 プロの、ろう者の俳優の養成、演劇活動、手話教室などに力を注いでいます。 1986年にはTBSで『世界・ふしぎ発見』が放送を開始。 初回からレギュラー解答者として毎回出演しています。 2010年に「放送ウーマン賞」の日本女性放送者懇談会40周年特別賞を受賞。 同年には平成27年文化功労者に選ばれました。 2015年5月27日には『徹子の部屋』が放送開始40年になり放送回数10,000万回を達成。 また2011年4月27日を迎えた段階で同一の司会者による番組の最多放送回数記録としてギネス世界記録に認定されました。 2017年にはこれまでの活躍が評価され、名誉都民に選ばれています。 アメリカのテレビ番組、ジョニー・カーソンの『ザ・トゥナイト・トリビューン』など多くのアメリカのテレビ番組に出演。 タイム、ニューズウィーク、ニューヨーク・タイムス、ヘラルド・トリビューン、ピープルなどに日本の代表女性として紹介されています。 日本で初めてのトーク番組『徹子の部屋』は45年目をむかえます。 またユニセフ(国連児童基金)親善大使としてアフリカ、アジアなどを訪問。 ■黒柳徹子さんの年収は?『徹子の部屋』の出演料が凄すぎ! 以前『窓ぎわのトットちゃん』が大ヒットした時の黒柳徹子さんの年収は13億円を超えていたそうです。 『徹子の部屋』の一回の出演料が150-200万円と言われていて、『徹子の部屋』だけでも3億6000万円になります。 その他テレビのバラエティー番組の出演料をいれると推定年収は5億円を超すものと思われます。 他にも印税などを含めたら、もっとあるかもしれません。 さすが日本を代表する女性だけあって、年収も破格ですね。 すごいですね。 ■まとめ […]

清水富美加の年収は?人気絶頂だったにも関わらず月収は5万円だったって本当?!清水富美加の「幸福の科学」出家への経緯とは?現在は何をしているの?

2017年までテレビ業界で大活躍していた清水富美加さん。 明るく、常に笑顔いっぱいの彼女はブレイクしてからはドラマやバラエティ番組に引っ張りだこでした。 しかし、2017年に宗教団体『幸福の科学』での電撃出家を発表。 その後、発売された暴露本には移籍前の芸能事務所「レプロ」の衝撃の給料実態が掲載され、大きな話題を呼びました。 現在は千眼美子(せんげんよしこ)という法名で芸能活動を再開されています! そこで、今回は清水富美加さんの当時の気になる年収や宗教団体「幸福の科学」への入信の理由を徹底調査しました!! ■プロフィール 本名:清水富美加(しみず ふみか) 芸名:千眼 美子(せんげん よしこ) 生年月日:1994年12月2日(25歳) 出身地:東京都 身長:162㎝ 血液型:A型 1994年、三姉妹の末っ子として東京都で生まれた清水富美加さん。 2007年、東京都世田谷区の公立小学校を卒業後、日大三中に進学します。 2008年、中2の夏に、レプロエンタテインメント(以下、レプロ)のマネージャーに渋谷で声をかけられスカウトされ、芸能界へ入ります。 2008に『レプロガールズオーディション2008』に出場し、グッドキャラクター賞を受賞。 その翌年にファッション雑誌『ラブベリー』の専属モデルになりました。 清水富美加さんが注目されることになったのは、特撮ヒーロードラマ『仮面ライダーフォーゼ』(テレビ朝日)に出演がきっかけでした。 女子高生役として登場した清水富美加さんの可愛さが人気を集めました。 一方で高校は堀越高等学校に進学するも、『仮面ライダーフォーゼ』の仕事があまりにも忙しく単位が取れないので、通信制の高校に転校します。 それからはさまざまなドラマやバラエティ番組などに引っ張りだこ。 特に2015年に放送されたドラマ『まれ』(NHK)でのヒロインの同級生役は、憎まれ役だったにも関わらず好評で、多くの人の心に残りました。 人気絶頂だった2017年2月、突如、日刊スポーツが清水富美加さんの『芸能界の引退』と『幸福の科学での活動専念』を報道されます。 清水富美加さんはこのころに、体調不良を理由にさまざまな番組やイベントを降板しました。 すでに制作が終わっていた映画も清水富美加さんが出演している場面を差し替えたり、まだ撮影中だった作品の新しいキャストを探さなければいけなかったりなど多方面で混乱が生じ、批判の声も多く上がりました。 同月に清水富美加さんは幸福の科学の法名『千眼美子』で活動することを発表し、騒動の経緯や自らの気持ちを赤裸々に語った著書『全部、言っちゃうね。 本名・清水富美加、今日、出家しまする。』を出版。 5月には幸福の科学を通じてレプロとの専属契約終了と、幸福の科学が運営する新しい芸能事務所『ARI Production(アリ・プロダクション)』の設立が発表され、清水富美加さんが所属することも明かされました。 現在は千眼美子となった清水富美加さんは芸能活動を再開しています。   ■清水富美加の年収は?人気絶頂だったにも関わらず月収は5万円だったって本当?! 「なぜ、仕事がたくさん舞い込んでいる時にこういうこと(所属事務所との契約解除)になったのか」ということに対して清水富美加さんは 「いまやめないと、本当に死にそうだったから」 と明かしています。 しかし、清水富美加さんが「死にたい」と思い始めたのは、契約解除よりずっと前だそう。 芸能活動を始めて、水着の仕事をするようになった15歳の頃だったと言います。 水着で撮影される仕事が嫌だったのは本当のようで、水着の仕事は「嫌です」といってあったにも関わらず「もう決まっているから」とマネージャーにいわれ、泣く泣く撮影にのぞんだそうです。 しかし、契約解除の最大の要因はレプロ側から突きつけられた厳しい労働条件が原因のようです。 清水富美加さんがブレイクするきっかけとなった特撮「仮面ライダー」の仕事は早朝から深夜まで撮影していたそうですが、その時の清水富美加さんの手取り月給はなんと・・4万5千円だったそう・・・。 若い頃から金銭感覚を狂わせることのないよう、新人時代は給料が低く設定され、その代わりに食事付きの寮などでバックアップするというケースは芸能事務所にはあるそうです。 そのため清水富美加さんの所属事務所だけ特別に給与体系が低いということにはならないという意見もあるようです。 しかし、当時の清水富美加さんはデビュー3年目だったようで「1ヶ月、休みなく働いても給料5万円だった」と主張していました。 この事が本当であれば、死物狂いで働いて、たった5万円の給料を見た時の失望感や会社への憎しみが生まれるのは当然のことだと思います。 そんな富田富美加さんですが、2017年の清水さんの年収は・・1,500万円!と驚愕のものでした! この年収はブレイクを果たした2015年以降の実績が反映されていたようです。 これはNHK連続テレビ小説「まれ」への出演で知名度が急上昇し、バラエティーやCMなどでもマルチに活躍していた時の実績です。 これまで「奴隷給料」として同情を引いてきた清水富美加さんですが、1,500万円もの収入がありながら、一体何に不満があったというのでしょうか? 1,500万円の年収をもらっていた当時、清水さんはフジテレビ系「にじいろジーン」のメーンMCのほか、数々の番組に出演し、主演映画も複数抱え、イベントにも引っ張りだこな状態な上、さらにCMも2本抱えていたという、まさに「売れっ子」でした。 芸能活動でもっとも高額の収入と言われるCM出演ですが、売れっ子芸能人ともなれば、1本当たりのギャラは2000万円前後と言われています。 これらの仕事からはじき出される、清水富美加さんが稼ぎ出した総額は1億円以上とと言われています。 […]