菅義偉さんは1948年12月6日生まれで、秋田県雄勝郡秋ノ宮村出身です。
家族はご両親と、2人のお姉さん、義偉さん、弟さんで、4人兄弟の長男です。
お父さんの菅和三郎さんは、元南満州鉄道の職員で、当時は花形産業の仕事に就いていました。
待遇も良く子宝にも恵まれて、順風満帆の日々だったようです。
ところが、終戦を迎えて生活環境は一変してしまいます。
家族が味わった苦労からお父さんは、お米だけに頼るのではなく、違う農作物にも目を向けるとして、イチゴの栽培を始めたのです。
「秋の宮いちご」のブランド化に成功して、その後町議会議員などを務めます。
お母さんやお叔父さん、お叔母さんは元教員で、お姉さん2人も高校教諭になりました。
菅義偉さんの出身小学校は雄勝町立秋ノ宮小学校(現:湯沢市立雄勝小学校)です。
家と小学校までは約100mほどしか離れておらず、そのため、友達がいつも押しかけてきたそうです。
とくに月刊冒険王の漫画を読みたくて毎月配達される日は家の前に友達が大勢待っていたそうです。
菅義偉さんは、とても優しい性格の少年で、開封後は友だちに優先で貸し出していたんだとか。
菅義偉さんの出身中学校は雄勝町立秋ノ宮中学校(現:湯沢市立雄勝中学校)。
菅義偉さんは運動神経抜群で、中学時代は野球部に所属しています。1番打者で守備はサードでした。
スイングフォームが独特で、よく監督に指導されていたそうですが、構えを指導されても、自分のやり方を変えようとしない程の頑固者だったそうです。
独自のスイングを貫けたのは、ちゃんと結果を出せていたからと当時の野球部仲間がおっしゃっています。
結局、監督も指導を諦めたそうですが、現在の性格は既に出来上がっていたようですね。
高校は秋田県立湯沢高等学校に進学し、第3学年では進学組に所属していました。
高校卒業後、「東京へ行けば何か変わるかもしれない」という思いで、農業大学を勧めた父親に反発し上京したものの段ボール工場で働いています。
秋田県にいた頃と変わらない状況を打開すべく、働いて貯めたお金で授業料が一番安かった法政大学法学部政治学科に入学。
法政大学に入学後、ガードマン→新聞社の雑用→カレー屋などのアルバイトをかたっぱしからやっています。
学業とアルバイトで忙しいのに、空手部に所属して副主将を務めています。
三段まで昇格しています。
根性があったんですね。
卒業後は建電設備株式会社(現:株式会社ケーネス)に入社しました。
嘘がつけず、冗談もない堅物!
そんな菅義偉さんの気になる年収を徹底調査しました!
■プロフィール
本名:菅義偉(すが よしひで)
愛称:令和おじさん
生年月日:1948年12月6日
出身地:秋田県雄勝郡秋ノ宮村出身
血液型:O型
職業:政治家
■大学時代は空手部で、三段の腕前!
<市会議員>
1975年、政治家を志し、法政大学を通じて第57代衆議院議長中村梅吉秘書の紹介により衆議院議員小此木彦三郎氏の秘書となり、11年間務めます。
1983年、小此木氏の通商産業大臣就任により大臣秘書官に就きました。
1987年、横浜市会議員選挙に出馬し、初当選。
市議を2期務めます。
横浜市政に大きな影響力を持っていた小此木氏の死後、当選回数たった2回だけで小此木氏の代役として秘書時代の人脈を活かして高秀秀信市長から人事案などの相談を受けるなどの活躍をし「影の横浜市長」と呼ばれました。
<衆議院議員>
1996年、第41回衆議院議員総選挙に自民党公認で出馬し初当選。
竹中平蔵総務大臣の時に総務副大臣として情報通信、郵政を担当します。
2006年、自由民主党総裁選挙で再チャレンジ支援議員連盟の立ち上げに参加し、安倍晋三氏を擁立する原動力となります。
9月発足の第1次安倍内閣で総務大臣(郵政民営化担当大臣を兼務)に任命され、また12月には内閣府特命担当大臣の補職辞令を受けました。
2007年、第21回参議院議員通常選挙敗北を受けた内閣改造で、安倍氏が菅氏の内閣官房長官起用を模索しましたが、直前に菅氏に事務所費問題が発覚し実現せず、自民党選挙対策総局長に就任。
選挙対策委員長に古賀誠氏が就任すると、古賀氏に手腕を買われて副委員長として衆院選対策に引き続きあたることになります。
2009年、古賀氏が辞任後、選対委員長代理として総選挙を取り仕切ることになります。
第45回衆議院議員総選挙で5選。
2010年、自民党国会対策副委員長及び広報本部本部長代理に就任。
2011年、自民党組織運動本部長に就任。
2012年、自由民主党総裁選挙に先立ち、甘利明氏の協力を得て安倍晋三元総理の総裁復帰を画策して、麻生太郎氏まで引き込んで安倍氏を総理にします。
第2次安倍内閣の発足と同時に、内閣官房長官に任命されます。
アルジェリア人質事件では、防衛省の反対を押し切って、前例のない日本国政府専用機の派遣を行いました。
2016年7月7日、内閣官房長官の在職期間が1290日となり、歴代1位の在職日数を記録。
2019年4月1日、新元号を発表。
「令和おじさん」と言われます。
2020年8月29日、党総裁と内閣総理大臣の辞任を表明した安倍氏の後任になるため、自民党総裁選挙に出馬する意向を表明します。
2020年9月14日、自由民主党総裁選挙で当選。
好物はパンケーキで、大の甘党です。
酒は飲まず(いわゆる下戸)、タバコも吸いません。
朝に身体を動かしたり、情報収集したり、様々な人を会ったりする「朝活」を日課としています。
平日は午前5時頃に起床し、柔軟運動や100回の腹筋運動の後、新聞朝刊各紙や『NHKニュースおはよう日本』で見たニュースを整理しながら、東京・赤坂の議員宿舎から40分ほど散歩をしつつ、総理大臣官邸近くのホテルに向かいます。
ここで野菜、果物、ヨーグルトドリンクなど一汁一菜の軽い朝食をとりつつ、政治家や官僚、企業人らと話して世間の動きなどを情報収集します。
外国人材の受け入れ拡大を図る出入国管理及び難民認定法改正に向け動いたのも、この場で介護業界の深刻な人手不足を聞いたことがきっかけでした。
「安倍が最も信頼する側近の1人」とされ、第1次安倍内閣が閣僚のスキャンダルや問題発言などで混乱する中、存在感を増していきました。地方分権改革推進法など19本の法案を成立させるとともに、ふるさと納税の提唱や、年金記録問題における省内委員会の設置を行うなど、閣僚のスキャンダルが続出した第1次安倍内閣にあって安定した存在感を発揮しています。
趣味は渓流釣りとウォーキングで、特にアユ釣りが好きです。
「全日本釣り団体協議会」の会長理事をつとめ、「釣り人団体」として、諸官庁や都道府県など、行政と釣り人を繋ぐ窓口の役割を果たしています。
自ら表に出ることは少なく、人と話すときもあまり喋らず聞き役になるタイプで菅さん自身も自らを地味で真面目な性格で、特にパフォーマンスが苦手であると話しています。
2014年5月の産経新聞の調査で内閣官房長官の菅さんを第2次安倍内閣の閣僚中で最も評価するとの回答が最多でありました。
他国や面倒くさそうな相手に対しても怯むことなく対応する姿で有能だと評価されています。
頑固そうな見た目に反して官邸内では機敏な気配りができて評判と言われています。
■菅義偉さんの年収は?
菅義偉さんの年収はいくらくらいでしょうか。
菅義偉官房長官給与は160万、年収は
3600~4600万。
資産は建物が1742万、預貯金が4427万で、資産総額は6247万円。
菅義偉さんは官房長官なので、国務大臣職として給料が決まっています。
・国務大臣:
146万6000円(月額)
これに更にボーナス相当の
期末手当(635万)
がプラスされます。
さらに、手当として
文書通信交通滞在費が月額100万円支払われます。
それをプラスすると
推定年収は約3600万円となります。
そしてこのほかに、政党交付金(一人あたり4000万円)や立法事務費が支払われますが、
それが個人に直接支払われるわけではなく政党の運営に使われるため、個人には数百万円~1000万円が支払われるといいます。
仮に1000万円の政党交付金を受け取るとすると、
推定年収は約4600万円ということになります。
いかがでしたか?
菅義偉さんは2016年4月1日の定例記者会見において、エイプリルフールに因んだ冗談はあったのかと記者に問われた際、「私は非常に堅物で、ユーモアのない、一つ一つ着実な発言ばかり」であるとした上で、官房長官の立場もあり嘘や冗談は控えていると答えています。
空手は三段ですが、今でも朝晩計200回の腹筋をするそうで、ストイックですね。
菅義偉さんはお酒も飲まず、タバコの吸わず、真面目で頑固なところに誠実さが感じられ、信頼できる政治家のように思われます。
座右の銘は「意志あれば道あり」。
新型コロナウイルスの問題もあって大変ですが、菅義偉さんの強い意志によって、どうぞこれからの日本の明るい未来を切り開いていってくださいね。
応援しています。
(出典)
(菅義偉プロフィール総裁選2020自民党)
(菅義偉自民党総裁選公式特設サイト)
(プロフィール/内閣官房長官衆議院議員 菅義偉)
(ウィキペディア)
([日本の政治家]生い立ち及び経歴情報まとめ)
(LEO)
(ネットブレイクYOKKOI NET)
(ゆたかな日々)
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