『とんぼ』『乾杯』など印象的なメロディーとフレーズで日本中のリスナーを虜にしてきた長渕剛さん!!ちょっとやんちゃなイメージもある長渕さんですが、現代の日本を代表する偉大なアーティストですよね!
さて、そんな長渕さんは、22歳という若さで南こうせつさんや庄野真代さんと活動を共にし、ラジオ番組でもコーナーを担当していました。
このように若いころから活躍していた長渕さん。
一体今ではどれくらいの年収を得ているのでしょうか?
長渕さんの年収を徹底調査しました!!
■プロフィール
長渕さんは、1956年9月7日、鹿児島市生まれ。
警察官だった父親と母親の間に生を受けました。姉との二人姉弟でした。
地元の小・中・高を経て、九州産業大学芸術学部に入学しました。
実は
長渕さんの転機は、実は大学入学前に訪れていました。大学祭の前座で初めて舞台を経験したのです。
舞台に立つ魅力を知った長渕さんは、友人と2人でフォークソングのグループ「T&Tグループ タケシとツヨシ」を結成。そしてステージ活動を本格化させていきました。
その後大学に進学し、場末のバーでオリジナル曲を歌い続けるなどしていました。
この時はまさに地獄の環境だったのだとか!
毎夜のようにビール瓶や灰皿を投げつけられ、泥酔した客や極道から「演歌やらんかい、演歌!!」と罵声を浴びつづける毎日。
ここで根性が鍛えられたと本人は回想しています。このような地道な努力が実を結び、22歳の時、ヤマハ音楽振興会主催の、ポピュラーソング・コンテスト(通称ポプコン)に『巡恋歌』で入賞。
同年には、南こうせつのオールナイトニッポン内で「裸一貫ギターで勝負」のコーナーを担当するようになりました。
その後の活躍は、ある年齢以上の方なら、よくご存知かもしれませんね。
1990年の大晦日には、NHK紅白歌合戦に初出場。
この時は、
ドイツ・ベルリンから生中継で、「ベルリンからのメッセージ」と題して『親知らず』『いつかの少年』『乾杯』の3曲を熱唱しました。
ただ、なかなかの強気さから悶着を起こしたことも多々ありました。
吉田拓郎さんのコンサートに特別出演した時、一部の客から「帰れ」コールを受け、「帰れって言うんだったらお前らが帰れ」とやり返したとか・・
またプライベートでも、1981年に当時アイドル歌手だった石野真子さんと結婚。しかし2年弱で離婚。
極め付けは1995年に大麻取締法違反で逮捕されたこと。こういった私生活の乱脈さによって、「ヤンチャ」「ワル」のイメージが定着したのです。
一方、音楽活動では着実にキャリアを築いていきました。熱狂的なファンがいることも有名ですよね。
そんな長淵さん、一体どれほどのギャラを稼いでおられるのでしょうか?気になりますよね。
長渕さんの年収を徹底調査しました!
■長渕剛の年収や収入は?
長渕さんの仕事・収入の大部分は、もちろん音楽活動が占めています。
CDだったり、ライブ活動からの収入が相当程度あります。
また、少し前までは映画、ラジオ、CMなどへの出演もありました。
ということで、現在の長渕さんの年収を調べてみると・・
1億3,000万円でした!現在のメディアへの露出は少なめですので、やはり収入源の大部分はCDなどの印税によるものでしょう。
ミリオンセラーを飛ばしたことがあるアーティストとなると、印税も相当なものなんですね!
■長渕剛の近況は?『乾杯』は国民的楽曲?!
さて、そんな長渕剛さん。先ほどもご紹介したようにヤンチャなエピソードには事欠きません。
しかし、意外にもその楽曲にはストレートで純粋な想いが詰まっています。
そんなピュアな部分が、長きに渡って支持される理由なのかもしれません。その中でも、
幅広い年代に支持されている曲が『乾杯』ではないでしょうか?作詞・作曲も長渕さんご自身が手掛けました。
もともと、地元の友人が結婚すると聞いた長渕さんが、友人への祝福のために書いた曲です。
まさしく、人生の大きな節目に置かれた人間に対する応援歌なんです!
歌詞の内容から、
現在でも結婚披露宴や卒業式などで歌われることが非常に多い曲ですね。シングルは80万枚近い売り上げを記録。第30回日本レコード大賞では金賞を受賞しました。
長渕さんのことをよく知らない世代でも、『乾杯』だけは知っている!という人も多いでしょう。
それもそのはず!なんと、この
『乾杯』は1990年代以降、小学校の音楽の教科書に掲載されているのです!長渕さん自身は、とても破天荒なイメージが強い方なので、そのような人の曲が教科書に掲載されるなんて、ちょっと面白いと思いませんか?
けれど、逆にそれほど長渕さんの楽曲には誰の心にも訴える強いものがあるということ!!
最近は、お子さんたちも芸能活動を始めておられるようです。
これからも、
このような心の底から感動できる楽曲をたくさん届けてほしいですね!!
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