岸部四郎の年収は?最盛期には1億8000万円の年収!?散財に散財を重ね自己破産!?





岸部四郎さんは1949年6月7日生まれで、京都府京都市の出身です。

9人兄弟の4番目に生まれています。

お父さんは元憲兵でしたが遊び人で、4畳半の部屋に親と兄弟9人が住んでいました。

妾と妾の子供も同居していたようで、母親違いの兄弟もいらっしゃいます。

最終学歴は中学卒業ということで、中学は京都府立近衛中学校を卒業されています。

中学卒業後は、印刷会社に就職。

後に退職しバンドボーイとなります。

タイガースのデビュー後にしばらく音楽面でのアドバイザーを務めた後、メンバーと渡辺プロダクションの援助で1968年(昭和43年)7月アメリカへ渡り、留学の名目で『ミュージック・ライフ』の音楽特派員として活動。

1969年(昭和44年)3月、タイガースから加橋かつみさんが脱退したため、兄・一徳さんからの電話によって呼び戻され、新メンバーとなりました。

加橋さんの後釜としてギターを担当するも、加入当初は実際には弾けず、弾く真似をしていたそうです。

また、タンバリンを演奏したり、加橋さんのヴォーカルパートを引き継ぎます。

岸部さんの加入により、タイガースもユニフォームをいつも着るのを止めたり、ステージのレパートリーではフォークソングやハードロックを取り入れるなど積極的にイメージチェンジを図り、それまでの「白馬に乗った王子様」的なアイドルのイメージより徐々に脱却。

敢えて積極的に近畿方言を話し、また当時のアイドルではタブーとされていたメガネを着用、そして司会を担当したステージでは軽快なトークを披露することで次第に好評を得た岸部さんは、その気さくなキャラクター性が受け入れられ単独でのTV出演をも果たしました。

ステージでは主に『花の首飾り』『ホリデイ』などそれまで加橋さんがソロを担当していた曲に加え、ドノヴァンなどのフォークソングも得意としています。

また1970年(昭和45年)には岸部一徳さんとのユニット「サリー&シロー」名義でもアルバムを発表。

この頃には、ある程度のリズムギターおよびタンバリンができるようになっており、1970年(昭和45年)8月22日の田園コロシアムに於けるコンサートや、1971年(昭和46年)1月24日の日本武道館に於ける解散公演では、実際に演奏しているのが確認されます。


離婚の慰謝料、連帯保証人、骨董に浪費で自己破産
そんな岸部四郎さんの気になる年収を徹底調査しました!


■プロフィール







本名:岸部四郎(きしべ しろう)
生年月日:1949年6月7日
出身地:京都府京都市出身
血液型:A型
職業:歌手、俳優、タレント
活動期間:1969年-2013年      



■『西遊記』の沙悟浄役で人気を博す!







タイガースの解散後にアメリカで知り合い交際を続けていた1歳年上の女性と結婚。

1971年(昭和46年)、ブレッド&バターに合流した後、当時所属していた渡辺プロ(現:ワタナベエンターテインメント)のザ・ピーナッツ、天地真理さんなどのステージで司会や、当時ブームとなった青春ドラマ等の俳優として活動。

1978年(昭和53年)、テレビドラマ『西遊記』(日本テレビ系列)に沙悟浄役で出演し、人気を博します。

『西遊記』収録の休憩時間、「俺は1億円持っている」と共演していた夏目雅子さんを口説いていたとのこと。

一方、ロケの仲間内で食事をしても、芸能人として先輩にあたる左とん平さんや堺正章さんばかりに勘定を払わせるなど「ケチ」で当時から有名であったそうです。

1984年(昭和59年)10月から、沢田亜矢子さんの後任として『ルックルックこんにちは』(日本テレビ系列)の司会を務めます。

最初の妻との間に2人の子供がいますが、1986年離婚。

生来貯金が苦手なうえに、お人好しの性格で連帯保証人を次々に引き受けた事、自身も浪費癖があった事、また事業欲から無謀な挑戦(ヘリコプターのヘリコミューター、アメリカのディスコ買収等)を繰り返した事などで借金が雪だるま式に増えてしまい、税理士に調べてもらった結果、借金が1億円に膨らんでいたことが発覚(週刊女性のインタビュー記事によると実際は4億2000万円、『大御所ジャパン!』によると事業失敗で約20億円)。

自己破産に至りました。

その影響で、1998年(平成10年)4月6日に突如『ルックルックこんにちは』を自主降板し、所属事務所からも解雇され、芸能活動自粛を余儀なくされました。

一方、漫画家の青木雄二さんは一連の騒動について、「岸部の年収があれば破産の必要は無かった」と対応に疑問を呈しています。

翌年3月に破産宣告を受けます。

当時、他人の連帯保証が主因として、一種の被害者と報道されることが多かったですが、元々骨董のコレクションに傾倒し、破産以前に発売された雑誌『太陽』で「俺の目利きはかなりの物。コレクション売ったら購入価格以上になる。億はつかったけどこれは資産」、「骨董に嵌って破産するような奴は馬鹿」とコメントするなど、浪費癖が目立っています。

破産後に『文藝春秋』に寄せた手記でも、骨董品収集が破産の原因になったことを告白しており、自らの責任によるところも大きいです。

ちなみに、現在も「あまり貯金をしていない」とテレビ番組などで語っています。





自己破産以降、その自虐的な出来事を売り物にして、バラエティ番組に出演することが多くなります。

この頃から岸部さんは「貧乏キャラ」として再ブレイクし始めます。

2002年に放送された「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで」(日本テレビ系)では、1回の出演で計4回落とし穴に落ちる企画が放送され、落ちた落とし穴の中から「オレを誰や思うてんねん! 元金持ちやぞ!」「もう、カネしかないなあ!」との「迷言」を吐くなど、新たなキャラを開花させました。

2003年(平成15年)に脳内出血で倒れ、緊急入院。

生死の境をさ迷うも一命を取り留め、その後退院しました。

この後遺症で視野狭窄を患い、右目の視野が3分の1しかないことを自身のブログで告白しています。

2005年(平成17年)、ドラマ『電車男』に主役の伊藤淳史さんの父親役で出演した頃から、旧芸名「岸部シロー」も使うようになっています。

彼が詐欺師役で出演したドラマ『クロサギ』の最終話では、かつての自己破産経験を思わせる台詞を発しています。

2007年(平成19年)4月6日、14歳下の再婚の妻が心臓発作により急死。43歳没。

亡くなられた奥様との間にお子さんはいなかったとのこと。

奥様が亡くなるまでは、奥様と二人で仲良く暮らされていたようです。

この頃から、岸部四郎さんの主な面倒は兄の岸部一徳さんがみていたみたいです。

2008年(平成20年)、12012のシングル「MERRY GO WORLD」のPVに出演。

2009年(平成21年)、身体の身動きが取れなくなり、救急車を呼んで入院。この頃から体調が悪化し、メディアへの露出が困難となってしまいます。

2011年(平成23年)4月16日、フジテレビONEで『岸部のロック』という、自らのロック体験を語る番組に出演。

2012年(平成24年)1月24日、沢田研二ライブツアー最終日の日本武道館公演に車椅子姿で登場、第2期ザ・タイガースメンバーが見守る中で『若葉のころ』を歌いました。

2012年(平成24年)12月、『情報ライブ ミヤネ屋』に出演。

同年2月に骨折で入院し、手術を受けてからは老人ホームで暮らしているという。

2013年(平成25年)12月27日、ザ・タイガースライブツアー最終日の東京ドーム公演に再び車椅子姿で登場、他のタイガースメンバーが見守る中で『イエスタデイ』を歌唱し、これによって、結成以来初めてタイガースの全てのメンバーが揃うこととなりました。

これが公の場で見せた最後の姿となりました。

2020年(令和2年)8月28日、拡張型心筋症による急性心不全のため千葉県内の病院で死去。

その死は9月15日に報道されました。


■岸部四郎さんの年収は?







岸部四郎さんの年収はいくらくらいでしょうか。

最盛期の年収は、1億8000万円だそうです。

しかし、その後離婚した奥様への慰謝料や、連帯保証人を引き受けたこと、アメリカのディスコを買収するなどの事業の失敗などが原因で、自己破産してしまいます。

年収が1億8000万円あった時に、こつこつと貯金をしていれば、悠々自適な老後が待っていたのに。

岸部四郎さんの浪費癖は困りものですね。





いかがでしたか?

全盛期には1億8000万円もの収入があったのに、浪費に浪費を重ね、投資した事業も失敗し、巨額の借金を抱えた岸部四郎さん。

そんなに収入があって、散財しなければ、豊かな生活が送れていただろうに、憑かれたようにお金を使う癖があったようで、もったいないと思います。

その自己破産の経験を、自虐キャラにするたくましさを持っていたようですが、元お金持ちと言っても破産してしまえば、もともこもないですよね。

岸部さんのような収入があったら、節約して、貯蓄して、老後に備えたいところですが、お金持ちになってみないとそのメンタリティーはわからないのかもしれませんね。

再婚した奥様とは死別しましたが、最後はお兄さんの岸部一徳さんの世話を受けられてよかったですね。

ご冥福をお祈りいたします。


(出典)
(ウィキペディア)
(こいもうさぎのブログ)
(離島からのリーマン便り)
(ブログ民)
(Jcastニュース)


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