井上陽水の年収は?吉田拓郎とは「仲が悪い」の真相は??


外見からは想像もつかない澄んだ声(失礼!)で数々の名曲を届けてくれる井上陽水さん。

『夢の中へ』『少年時代』などの代表曲は、何年経っても色褪せることはありません。

有名歌手への楽曲の提供が多いのも陽水さんの特徴。

沢田研二さんやPUFFY、薬師丸ひろ子さん、安全地帯など、その守備範囲の広さには感心させられっぱなしです!

さて、そんな才能尽きせぬ陽水さん。

一体現在はどれほどの年収を稼いでおられるのでしょうか?気になる稼ぎを徹底調査しました!!



■プロフィール







井上陽水さんは、1948年8月30日、福岡県生まれ。

父は元軍医でした。兄弟姉妹は姉1人、妹1人。

父は引き揚げ後は炭鉱で働いていましたが、陽水さんが生まれてまもなく福岡県田川郡糸田町で歯科医院を開業していました。

当然あとを継ぐこと期待されていた陽水さん。

しかし、九州歯科大学の入学試験に3度失敗。大学進学を諦めました。

その後、父には「東京で勉強して大学入学を目指す」と伝え、上京しました。

しかし、歌手となるための活動に専念し、受験活動は行わなかったそうです。

そうこうするうちに、あるラジオ番組内の視聴者が作った音楽を流すコーナーに自作のテープを送ったのです。

放送後、ラジオ局のスタッフからホリプロを紹介され、レコーディング。

数か月後、ソニーからデビュー。

1973年3月のシングル「夢の中へ」が初のヒット作となりました。

同年7月には初のライブアルバム『陽水ライヴ もどり道』がリリース。

人気上昇の切り口となった「夢の中へ」は、自身が「みんなで歌えるように作った」とコメントしているとおり、単純で明るい曲となっています。

しかし1977年に大麻所持で逮捕されるという不祥事を起こしてしまいます。

そのため陽水さんの曲も、事件以前と比較して売り上げは低迷していくことになりました。

1983年、自身のバックバンドだった安全地帯に提供した「ワインレッドの心」が大ヒット。

さらに安全地帯に歌詞を提供した「恋の予感」、中森明菜に歌詞と曲を提供した「飾りじゃないのよ涙は」、そして自身の「いっそセレナーデ」がヒット!

安全地帯とのジョイントで行われたコンサートは、6万人の聴衆を動員。

テレビ中継されたほか、ライブアルバム、ライブビデオにも収録されました。

その後も、1990年から1991年にかけて、映画『少年時代』の主題歌として作られた「少年時代」がロングヒット。

歌手としての揺るぎない地位を手にすることとなりました。

私生活では、歌手・石川セリさんとの間に1男2女を儲けていらっしゃいます。

さて、幅広い年齢層に訴える力を持つ楽曲を生み出し続ける井上陽水さん。

そんな陽水さんが現在どれほどの年収を稼いでいるのか・・気になりますよね!

井上陽水さんの気になる年収を徹底調査してみました!!



■井上陽水の年収や収入は?







井上陽水さんの収入源は、もちろん圧倒的に音楽活動によるものです。

自身が歌ってCDなどをリリースしたものもありますし、他の歌手に提供するものもあります。

これらによる収入が相当あるものと考えられます。

ご本人がテレビ番組に出演される機会は、そんなに多くはありませんね。

しかし、テレビ番組のテーマソングとして楽曲を制作することも多いです。

ということで、現在の井上陽水さんの年収は・・1億1,000万円ということでした!

この年収は多いと思われましたか?それとも少ないでしょうか?印象は人それぞれでしょうが・・

ただ、現在実際に何らかの活動をしていなくても印税という形で収入はあるわけです。

ある程度自分の好きなことを仕事にしながら、1年に1億円も稼げるというのは常人にはできないことです!

さすがに才能に恵まれた人は違いますね・・!!



■井上陽水の近況は?吉田拓郎とは犬猿の仲??







さて、そんな井上陽水さん。

実は同年代の吉田拓郎さんとは自他ともに認めるほど「仲が悪い!」

でも、それって本当なのでしょうか??真偽のほどは・・?

実は、以前あるインタビューで陽水さんはこのように話していました。

「そうかもしれないです。メールのやり取りとかしてるんですよ。

でもまあ、ウマが合わないという感じですね、アハハ」

う~ん、やはりフォーク界の重鎮同士、そりが合わないのでしょうか?!

一方で、拓郎さんへの敬意も!

「僕が駆け出しの頃、吉田拓郎は既に全国区。フォーク界のプリンスと呼ばれてた」と、自身がデビューしたフォーク全盛期を振り返っていました。

そして「あの頃は、ジーパンにTシャツ、髪もヒゲも伸ばして、自然に帰ろう、体制反対とか、すごい時代でした。

汚ければ汚いほど世間を捉えてる。

私もその先頭にいましたけど、拓郎は早く気付いてオシャレ方向に行きましたね。

僕は乗り遅れて。40年間の遅れは取り返しがつかない」と自虐的に話していました。

何となくそりが合わなくても、才能あるもの同士、互いを認め合い今でも切磋琢磨しているということなのでしょうね。

これからも、印税に安住せず(?)素敵な曲を書き続けてください!!



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