早川信行(千鳥ノブ)の年収は?嫁はクラスのマドンナ⁉︎ツッコミのクセは『強い』じゃなく『スゴイ』理由

ノブさんは1979年12月30日生まれで、岡山県井原市出身です。 実家の家族構成は、父親、母親、お兄さんが二人、本人は末っ子。5人家族です。 出身小学校は井原市芳井小学校。 少年野球をやっており、ポジションはセカンドでした。 小学生の時からテレビが大好きで、卒業式の文集に書いた将来の夢は『日本テレビの社長』。 実家が東京ドーム20個分の山を所有しており大地主であり、そこの山の中に入っては山菜をたくさん撮って遊んでいたそうです。 マツタケが取れることもあったとのこと。 成績優秀であり、クラスからの人気も高かった。 中学校進学し、生徒会副会長に選ばれるほど。 中学生時代のノブさんはとっても真面目で生徒会副会長を努めていました。 出身中学校は地元の芳井町立芳井中学校(現在は井原市立中学校) 相方のダイゴさんに会うのは高校時代です。 ダイゴさんは当時不良だったのに対し、優秀で真面目な生徒会副会長のノブさん。 高校時代に出会った彼らはどのように仲良くなったのでしょうか? 高校時代に出会ったノブさんとダイゴさん。1年の時に同じクラスになり早速意気投合 出身高校は岡山県立笹岡商業高校。 高校生の体育の授業から仲良くなりました。 学校の体育祭ではダイゴさんが応援団長を務め、副団長をノブさんが務めていまいした。 仲は良かったがコンビを組んでお笑いとしての活動をすることはありませんでした。 ノブさん自身は当時からお笑いに興味があったが『自分には無理だろう』と諦めており、そのまま就職の道に進みました。 後にダイゴさんとコンビを組んで『千鳥』として大ブレイク!そんな『ノブ』こと早川信行さんの気になる年収を徹底調査しました! ■プロフィール 本名:早川信行(はやかわ のぶゆき) 愛称:ノブ 生年月日:1979年12月30日 出身地:岡山県井原市 血液型:A型 職業:お笑い芸人 活動期間:2000年ー   ■ダイゴさんに騙されて芸能界入り!それでもM-1グランプリで決勝進出 ノブさんとダイゴさんは高校の同級生ですが、この時にはコンビを組んでいません。 お二人が卒業したのはおそらく1998年(平成10年) ノブさんはその後、大学に進学することなく就職しています。 就職先は広島県福山市のシャープの福山工場でした。 そこで営業マンとして勤務していましたが、ダイゴさんからお笑い芸人をやろうと誘われたのは二十歳の頃。 ダイゴさんはノブさんを誘う際 『自分は大阪でピン芸人として売れている。お前は俺と一緒に漫才をやるだけで売れるんやで』 という、ほぼ詐欺師的な誘い方に乗ったそうです。 その誘いに二つ返事で承諾し、務めていたシャープの福島工場へ辞表を提出し退職しています。 ちなみにシャープの工場で勤務した場合の年収はボーナス含め約300万程度です。 2000年に千鳥結成!2003年にはM-1グランプリ決勝に出場し大きな注目を集めた 誘われ方はどうあれ、こんな短期間で結果が出せるのはすごいですよね! 単純に天才なのか。ちなみに同期には あるある探検隊のレギュラーや、インパルス、ロバート、森三中、椿鬼奴など今でもテレビで活躍している芸人さんが多く、当時から競争率は激しかったと思われます。 クセが『強い』ではなく『すごい』のは理由があった コンビ結成当初から漫才のネタで相方のダイゴさんが変な歌い方をするのに対して『今までにないツッコミ』を模索していました。 『アレンジ強いな!』『べろべろの酔っ払いか!』『路上ライブのミュージシャンか!』など色々試していました。 そのなかで『クセがすごいな!』とツッコんだところ、ダイゴさんが大笑いしたんです。 そこでノブさんはこう思いました。『クセが強い』はあっても『クセがすごい』という言葉は存在しない。 今までに無い言葉だけど意味はしっかり通じるし、実際に相方は笑っている。ナゼか?面白いからだ。 その後、『アメトーーーーク!』に出演した際初めてその言葉を発した際、会場がドッと笑った。 2016年に同番組の流行語大賞にも選ばれ、彼らを代表するツッコミフレーズになりました。 ■ノブの奥様は学校のマドンナ 高校時代のノブさんはモテモテで、バレンタインデーにはチョコを渡しにくる女子が行列を作っていたほどでした。 […]

名倉潤(ネプチューン)の年収は?嫁は渡辺満里奈!?ハーフ!?

名倉潤さんは1968年11月4日生まれで、兵庫県姫路市出身です。 実家の家族構成は、お父さん、お母さんと3人のお兄さんと潤さんの6人家族です。 名倉潤さんの出身小学校は姫路市立大津小学校です。 以外にも子供の頃は非常に人見知りな少年でした。 実家は経済的に困窮していて、子供の頃は肉を食べた記憶がないくらいでした。 小学校時代は足が速く、リレーの選手などを務めています。 その反面、勉強は苦手でした。 名倉さんの出身中学校は兵庫県姫路市立広畑中学校です。 中学校時代の名倉さんは、非常にやんちゃで、学校の屋上でタバコを吸ったり、ケンかをしたりしています。 またしょっちゅう学校の授業をさぼっていました。 名倉さんは、中学校時代は部活動に参加していません。 当時は女子にモテていて、中学校時代は2人の女子と交際経験があります。 名倉さんの出身高校は兵庫県市川高校。 私立の共学の仏教系の高校です。 同校は部活動が盛んで、特に相撲部は全国的な強豪です。 当初は、高校を卒業したら経理の専門学校に行くつもりでしたが、お母さんに懇願されて親孝行のつもりで高校に進学しました。 ただ高校は地元の姫路市から離れたところにあったため、朝5時半に起床して通っています。 そのためか高校時代も部活動は行っていません。 同校は、当時非常に荒れていて、反社会的勢力の息子が多数在籍していました。 名倉さんは当時から絶妙なツッコミをしていたため、いろいろな人からお笑いコンビの結成を持ちかけられていましたが、すべて断っています。 高校時代の名倉さんは女子にモテていて、追っかけがいたほどです。 名倉さんは遊び人で、たびたび神戸のディスコに遊びに行っています。 高校時代の成績は悪く、お金を稼ぐには芸能界に入るしかないと思っていて、当時は俳優を志していました。 原田泰造さんと堀内健さんとお笑いトリオ「ネプチューン」組んで大ブレイク! そんな名倉潤さんの気になる年収を徹底調査しました! ■プロフィール 本名:名倉潤(なぐら じゅん) 愛称:潤ちゃん、リーダー 生年月日:1968年11月4日 出身地:兵庫県姫路市出身 血液型:AB型 職業:お笑い芸人、タレント、実業家 活動期間:1986年-       ■妻渡辺満里奈さんとはけんかもせずに仲がいい! 高校卒業後は、俳優を目指して上京していますが何をして良いかわからず、俳優養成所に通いながらアルバイトをして生活していました。 ちなみに名倉さんが俳優を目指していた頃に、「ハートに火をつけて」「もっとあぶない刑事」などのテレビドラマにエキストラとして出演しています。 21歳だった1989年にお笑い芸人に転身して、渡辺勝彦さんとお笑いコンビ「ジュンカツ」を結成しています。 同じ年にワタナベエンターテイメントのオーディションに合格してプロの芸人としてデビューしていますが、当時のギャラは1本2000円だったこともあります。 その後渡辺勝彦さんが引退して、ピン芸人として活動していますが、全く売れませんでした。 1994年にツッコミがいなかったお笑いコンビ「フローレンス」の原田泰造さんと堀内健さんと意気投稿してお笑いトリオ「ネプチューン」を結成しています。 トリオは1995年に「ボキャブラ天国」に起用されるといきなりブレイクしています。 2005年4月5日に、『銭形金太郎』で共演していたタレントで元おニャン子クラブの渡辺満里奈さんとの結婚を発表。 10月に関係者だけで行われた結婚披露宴では、堀内さん、原田さんが祝辞でこれまでのネプチューンの苦労話をし、それを聞いていた名倉さんが号泣したそうです。 しかしおニャン子クラブが流行っていた当時は一応高校生ではありましたが、おニャン子には全く興味が無くておニャン子のこともよく知らなかったので、当然妻の渡辺満里奈がおニャン子の元メンバーだということにも最初は全く気付きませんでした。 2007年12月9日、第一子となる男児が誕生。 2010年6月24日には第二子となる女児が誕生。 2010年11月19日、中目黒に名倉潤さんプロデュース店「ステーキなぐら」を開店、名倉さんのお兄さんで長男の名倉良知さんが店長を務めています。 2018年6月末に頚椎(首)椎間板ヘルニアの手術を受けて7月10日より2週間の休養をしていましたが、7月20日に復帰すると発表。 2019年8月1日、前年6月末に行なった頚椎椎間板ヘルニア手術の術後ストレスにより発症したうつ病のリハビリのため、同日より2か月間の休養に入ることが発表されました。 10月11日、『じっくり聞いタロウ〜スター近況(秘)報告〜』(テレビ東京)の収録から仕事復帰。 顔つきや体格から、「実は日本人ではなくタイ人」とネタにされますが、ハーフですらありません。 タイ人ネームとして「ナパ・キャットワンチャイ」(有名元プロボクサー)をもじった、「ナパ・チャット・ワンチャイ」と称されます。 後輩のイモトアヤコさんからはラオスの人に似ていると言われています。 妻の渡辺満里奈さんは、名倉さんと結婚を決意してその旨を両親に伝えた際にお母さんに「あの方(名倉さん)は、タイの方でしょう?国際結婚になるけどいいの?」と言われたエピソードを語っています(後に、お母さんのブラックジョークだったことが分かり笑い話にしているという)。 […]

三村マサカズ(さまぁ〜ず)の年収は?実家は町工場!?奥さんしか愛していない!?

三村マサカズさんは1967年6月8日生まれで、東京都墨田区出身です。 実家の家族構成は、お父さんとお母さんとお兄さんとマサカズさんの4人家族です。 お父さんは研磨の技術者で、研磨の町工場を経営していました。 三村さんの出身中学は墨田区立吾嬬第三中学校です。 子供の頃のあだ名は「エースくん」で、反抗期もなく、手のかからない子供だったそうです。 実際に小学校・中学校とスポーツが得意で頭も良かったのが、中2の時に急に成績が下がり、トップの常連だったのが下から数えた方が早い程になりました。 急に頭が悪くなった理由が一切わからず「頭のネジが外れたとしか思えない」と語っています。 行ける高校が無くなってしまった為、教師から単願推薦で受験するように勧められ、それまで狙っていた当時の進学校だった東京都立小岩高等学校は受験できませんでした。 三村さんの出身高校は、東海大学付属高輪台高校電気通信科です。 現在同校は共学化していますが、三村さんが在籍していた時は男子校で普通科のほかに電気通信科などの工業科もありました(後に廃止)。 この高校で、後にコンビを組む大竹一樹さんと出会います。 同時期にタレントの坂上忍さんも同校に入学していましたが、お互い面識のないまま中退しています。 三村さんは高校卒業後は、大学に進学していません。 21歳の時に高校時代から仲の良かった大竹さんともうひとりの友人と「しゃぶしゃぶトリオ」を結成します。 ところがその友人が別の人とコンビを組むことになり、三村さんは大竹さんとコンビで活動することになりました。 そして既にホリプロからスカウトを受けていた高校時代の友人と一緒に事務所へ遊びに行った際に所属が決まりました。 一本の映画の中で演技が成長していくタイプ! そんな三村マサカズさんの気になる年収を徹底調査しました! ■プロフィール 本名:三村勝和(みむら まさかず) 愛称:ミムちゃん、タマ職人 生年月日:1967年6月8日 出身地:東京都墨田区出身 血液型:A型 職業:お笑い芸人、司会者、タレント 活動期間:1988年-       ■「奥さんしか愛していない」と発言! 大竹一樹さんと、1989年にコンビ「バカルディ」としてデビューしますが、2000年にTBSのバラエティー番組『新ウンナンの気分は上々。』の企画で、海砂利水魚(現・くりぃむしちゅー)と対決し敗北した罰ゲームとして、コンビ名を「さまぁ〜ず」に改名させられました。 2000年バラエティ番組のエジプトロケで、夕食時に三村さんがウサギの肉を食べるリアクションに対し、ヒロミさんが強烈なダメ出しをしたことにショックを受け、以前からヒロミさん自分への当たりの強さへの不満が相重なり、それ以降、三村さんはヒロミさんとの共演NGとしていました。 事前にハワイで両者の共通の友人である木梨憲武さんの仲介もあって、2014年3月31日に放送の『笑っていいとも!! グランドフィナーレ感謝の特大号』でのスピーチで、ヒロミさんが嫌いだったことを告白しています。 更に千原ジュニアさんの仲介で、千原さんがヒロミさんを呼んで15年ぶりの共演。 そこで三村さんの思いをヒロミさんは真摯に受け止め反省し、最後に一緒に仕事をすることを約束して因縁は解消されました。 2003年第41回ゴールデン・アロー賞芸能賞を受賞。 2005年1月に放送された特別番組『笑いの祭典!! ザ・ドリームマッチ’05』(TBS系)では、田中直樹さん(ココリコ)とのコンビで優勝し賞金500万円を獲得。 2006年1月、内村光良さん(ウッチャンナンチャン)監督の映画『ピーナッツ』に出演。 この映画の監督だった内村光良さんは、「三村はテイクの度に演技がオーバーになっていき、最初は『野球やりてーなー』としんみり語る台詞だったのが、最終的にはいつものツッコミのテンションで『野球やりてっ!』と叫んでいた」というエピソードを語り「一本の映画の中で演技が成長していく珍しいタイプ」と話しています。 2007年1月特別番組『史上空前!! 笑いの祭典 ザ・ドリームマッチ’07』(TBS系)に出演、志村けんさん(ザ・ドリフターズ)とのコンビで優勝。 2010年12月『ウンナン極限ネタバトル! ザ・イロモネア 笑わせたら100万円SP』に内村光良さんとのコンビ「三内芸」として出場し、100万円を獲得。 2015年9月映画『内村さまぁ~ずTHE MOVIE エンジェル』に主演。 2014年からはNHKを含む全てのキー局で同時にレギュラー番組を持つなど、幅広く活躍しています。 さまぁ~ずがまだバカルディだった頃の1996年に現在の奥様と結婚。 奥様との交際はきっかけは、相方である大竹さんと同じレストランでアルバイトをしていたところ、同じバイト先で働く女性と大竹さんを付き合わせるために三村さんが尽力していましたが、逆に三村さんがその女性を好きになってしまったことにあります。 当時、バカルディ(さまぁ~ず)はお笑いコンビとして日の目を見ておらず、苦しい生活をおくるなかで三村さんが用意した結婚指輪は、なけなしの5万円で選んだものだったそうです。 早々に結婚したこともあり自身の恋愛観について語ったことは多くなく、「奥さんしか愛していない」と発言するほど奥様のことが大好きで、SNSなどで家族団欒の風景をよくアップしています。 特に目立った浮気の噂もなく、結婚歴20年を経過した今も一途に愛しているのを見ると理想の相手を見つけたと言えるでしょう。 性格は天然ボケです。 […]

石破茂の年収は?自民党総裁選に惜しくも敗れる!防衛庁長官は軍事オタク!?

石破茂さんは昭和32年(1957年)2月4日東京都で生まれています。 出身は鳥取県八頭郡八頭町郡家です。 石破茂さんのお父さんは官僚で、その時は建設事務次官として務めていましたが、翌年の昭和33年(1958年)には鳥取県知事に就任しています。 お父さんの石破二朗さんは、茂さんが生まれた時、48歳でした。 シャイな方だったのか、自身の高齢を恥ずかしく思って、茂さんが生まれた病院へあまり行きたがらなかったそうです。 そこで、秘書の高岩さんという男性が代理として病院へ通っていたところ、病院側に「高岩さんが茂さんの父親」と間違えられたことがあったとのこと。 お母さんが国語教師だったため、小学校の頃は毎晩1時間くらい、偉人伝の朗読をさせられていたという。 お母さんが曽祖父金森通倫さんから続くキリスト教徒であったため、教会附属の幼稚園に通い、18歳のときにプロテスタント系では日本最大の組織である日本基督教団に属する鳥取教会で洗礼を受けています。 鳥取大学附属小・中学校、慶応義塾高等学校を経て、昭和54年(1979年)3月、慶應義塾大学法学部法律学科卒業。 慶大2年在学中に、全日本学生法律討論会で第一位になった実績があります。 昭和54年(1979年)4月に、石破茂さんは三井銀行(現在の三井住友銀行)に就職することになります。 配属は東京都中央区にある本町支店で、日本橋の問屋街を自転車で廻り、中小企業の経営を体当たりで学んだ経験もあるそうです。 昭和56年(1981年)には、父・二朗さんが病気で逝去してしまいます。 その後、二朗さんの友人だった田中角栄氏からの薦めがあって、石破茂さんは政界入りを志したといいます。 「納得と共感の政治」という石破ビジョンを掲げるが自民党総裁選に落選! そんな石破茂さんの気になる年収を徹底調査しました! ■プロフィール 本名:石破茂(いしば しげる) 生年月日:1957年2月4日 出身地:鳥取県八頭郡八頭町出身 血液型:B型 職業:政治家       ■アイドル、軍事、鉄道オタク! 1983年1月に株式会社三井銀行退行。 1986年7月旧鳥取県全県区より全国最年少議員として衆議院議員初当選(第38回総選挙)。 1991年には「政治改革を実現する若手議員の会」を結成しています。 1993年の宮澤喜一内閣不信任決議では、与党の一員でありながら賛成票を投じました。 その後自民党から役職停止処分が出たため自民党を離党。 1994年には新進党結党に参加しています。 1995年に小沢一郎さんが新進党の党首になると安全保障政策が違うと失望し、1996年の総選挙を前に新進党を離党し、無所属で出馬し、過半数を超えるトップ当選を果たします。 1997年3月に自民党に復党して、2000年の第2次森喜朗内閣で農林水産政務次官に任命されました。 2002年の第1次小泉純一郎内閣で、防衛庁長官に任命され初入閣を果たすと、アメリカ同時多発テロ事件の発生による有事法制の制定や、陸上、航空自衛隊のイラク派遣に取り組んでいます。 2007年の福田康夫内閣で防衛大臣に任命されました。 麻生内閣では農林水産大臣を務めますが、09年の総選挙で鳩山由紀夫内閣が発足して農水相を退任しています。 2009年の自民党総裁選では立候補せず、谷垣禎一総裁の下で自民党政務調査会長を務めています。 2012年の自民党総裁選の時は5人が乱立しましたが、1回目の投票で石破さんがトップの199票(地方票165、国会議員34)でしたが、過半数に達していないため決選投票になりました。 2回目の投票は国会議員だけの投票でした。 石破さんは55票上積みして89票を獲得しましたが、108票を獲得した安倍晋三氏に敗れています。 安倍総裁の下で、自民党幹事長に起用され、2012年の総選挙、2013年の第23回参議院議員通常選挙の陣頭指揮を執りました。 2014年の第2次安倍改造内閣では、紆余曲折があり、最終的に内閣府特命担当大臣と地方創生担当大臣に任命されています。 2016年の第2次内閣改造で「いつまでも続く政権はない。次は誰かがやらないといけない」と大臣を退任しました。 2018年9月自民党総裁選に出馬、安倍首相と一騎打ちになりましたが、及ばず敗れています。 そして2020年9月1日、8月28日の安倍首相の退陣表明を受けて、自民党総裁選挙に正式出馬を表明しました。 「納得と共感の政治」という石破ビジョンを発表しています。 総裁選の結果は、主要派閥の支持を受けた菅氏が圧倒的な勝利を収めた一方で、2位争いは、地方票でリードした石破氏を議員票で岸田氏が逆転する形となりました。 総裁選に立候補した3氏の得票数は、届け出順に以下の通り。 石破茂氏 =68票(議員票 26票/地方票 42票) 菅義偉氏 =377票(議員票 288票/地方票 89票) 岸田文雄氏=89票(議員票  79票/地方票 10票) 趣味は、料理(カレーには自信あり)、読書(特に漱石、鴎外、井上靖、五木寛之、福井晴敏)、遠泳。 好きな食べ物はカレー(大学時代は4年間カレーを食べつづけた)とコロッケ。 高校時代からアイドル歌手グループキャンディーズの大ファンであり、中でもミキ(藤村美樹さん)がお気に入り。 […]

岸部四郎の年収は?最盛期には1億8000万円の年収!?散財に散財を重ね自己破産!?

岸部四郎さんは1949年6月7日生まれで、京都府京都市の出身です。 9人兄弟の4番目に生まれています。 お父さんは元憲兵でしたが遊び人で、4畳半の部屋に親と兄弟9人が住んでいました。 妾と妾の子供も同居していたようで、母親違いの兄弟もいらっしゃいます。 最終学歴は中学卒業ということで、中学は京都府立近衛中学校を卒業されています。 中学卒業後は、印刷会社に就職。 後に退職しバンドボーイとなります。 タイガースのデビュー後にしばらく音楽面でのアドバイザーを務めた後、メンバーと渡辺プロダクションの援助で1968年(昭和43年)7月アメリカへ渡り、留学の名目で『ミュージック・ライフ』の音楽特派員として活動。 1969年(昭和44年)3月、タイガースから加橋かつみさんが脱退したため、兄・一徳さんからの電話によって呼び戻され、新メンバーとなりました。 加橋さんの後釜としてギターを担当するも、加入当初は実際には弾けず、弾く真似をしていたそうです。 また、タンバリンを演奏したり、加橋さんのヴォーカルパートを引き継ぎます。 岸部さんの加入により、タイガースもユニフォームをいつも着るのを止めたり、ステージのレパートリーではフォークソングやハードロックを取り入れるなど積極的にイメージチェンジを図り、それまでの「白馬に乗った王子様」的なアイドルのイメージより徐々に脱却。 敢えて積極的に近畿方言を話し、また当時のアイドルではタブーとされていたメガネを着用、そして司会を担当したステージでは軽快なトークを披露することで次第に好評を得た岸部さんは、その気さくなキャラクター性が受け入れられ単独でのTV出演をも果たしました。 ステージでは主に『花の首飾り』『ホリデイ』などそれまで加橋さんがソロを担当していた曲に加え、ドノヴァンなどのフォークソングも得意としています。 また1970年(昭和45年)には岸部一徳さんとのユニット「サリー&シロー」名義でもアルバムを発表。 この頃には、ある程度のリズムギターおよびタンバリンができるようになっており、1970年(昭和45年)8月22日の田園コロシアムに於けるコンサートや、1971年(昭和46年)1月24日の日本武道館に於ける解散公演では、実際に演奏しているのが確認されます。 離婚の慰謝料、連帯保証人、骨董に浪費で自己破産 そんな岸部四郎さんの気になる年収を徹底調査しました! ■プロフィール 本名:岸部四郎(きしべ しろう) 生年月日:1949年6月7日 出身地:京都府京都市出身 血液型:A型 職業:歌手、俳優、タレント 活動期間:1969年-2013年       ■『西遊記』の沙悟浄役で人気を博す! タイガースの解散後にアメリカで知り合い交際を続けていた1歳年上の女性と結婚。 1971年(昭和46年)、ブレッド&バターに合流した後、当時所属していた渡辺プロ(現:ワタナベエンターテインメント)のザ・ピーナッツ、天地真理さんなどのステージで司会や、当時ブームとなった青春ドラマ等の俳優として活動。 1978年(昭和53年)、テレビドラマ『西遊記』(日本テレビ系列)に沙悟浄役で出演し、人気を博します。 『西遊記』収録の休憩時間、「俺は1億円持っている」と共演していた夏目雅子さんを口説いていたとのこと。 一方、ロケの仲間内で食事をしても、芸能人として先輩にあたる左とん平さんや堺正章さんばかりに勘定を払わせるなど「ケチ」で当時から有名であったそうです。 1984年(昭和59年)10月から、沢田亜矢子さんの後任として『ルックルックこんにちは』(日本テレビ系列)の司会を務めます。 最初の妻との間に2人の子供がいますが、1986年離婚。 生来貯金が苦手なうえに、お人好しの性格で連帯保証人を次々に引き受けた事、自身も浪費癖があった事、また事業欲から無謀な挑戦(ヘリコプターのヘリコミューター、アメリカのディスコ買収等)を繰り返した事などで借金が雪だるま式に増えてしまい、税理士に調べてもらった結果、借金が1億円に膨らんでいたことが発覚(週刊女性のインタビュー記事によると実際は4億2000万円、『大御所ジャパン!』によると事業失敗で約20億円)。 自己破産に至りました。 その影響で、1998年(平成10年)4月6日に突如『ルックルックこんにちは』を自主降板し、所属事務所からも解雇され、芸能活動自粛を余儀なくされました。 一方、漫画家の青木雄二さんは一連の騒動について、「岸部の年収があれば破産の必要は無かった」と対応に疑問を呈しています。 翌年3月に破産宣告を受けます。 当時、他人の連帯保証が主因として、一種の被害者と報道されることが多かったですが、元々骨董のコレクションに傾倒し、破産以前に発売された雑誌『太陽』で「俺の目利きはかなりの物。コレクション売ったら購入価格以上になる。億はつかったけどこれは資産」、「骨董に嵌って破産するような奴は馬鹿」とコメントするなど、浪費癖が目立っています。 破産後に『文藝春秋』に寄せた手記でも、骨董品収集が破産の原因になったことを告白しており、自らの責任によるところも大きいです。 ちなみに、現在も「あまり貯金をしていない」とテレビ番組などで語っています。 自己破産以降、その自虐的な出来事を売り物にして、バラエティ番組に出演することが多くなります。 この頃から岸部さんは「貧乏キャラ」として再ブレイクし始めます。 2002年に放送された「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで」(日本テレビ系)では、1回の出演で計4回落とし穴に落ちる企画が放送され、落ちた落とし穴の中から「オレを誰や思うてんねん! 元金持ちやぞ!」「もう、カネしかないなあ!」との「迷言」を吐くなど、新たなキャラを開花させました。 2003年(平成15年)に脳内出血で倒れ、緊急入院。 生死の境をさ迷うも一命を取り留め、その後退院しました。 この後遺症で視野狭窄を患い、右目の視野が3分の1しかないことを自身のブログで告白しています。 2005年(平成17年)、ドラマ『電車男』に主役の伊藤淳史さんの父親役で出演した頃から、旧芸名「岸部シロー」も使うようになっています。 彼が詐欺師役で出演したドラマ『クロサギ』の最終話では、かつての自己破産経験を思わせる台詞を発しています。 2007年(平成19年)4月6日、14歳下の再婚の妻が心臓発作により急死。43歳没。 亡くなられた奥様との間にお子さんはいなかったとのこと。 奥様が亡くなるまでは、奥様と二人で仲良く暮らされていたようです。 この頃から、岸部四郎さんの主な面倒は兄の岸部一徳さんがみていたみたいです。 […]

菅義偉の年収は?猛烈に働いた大学時代!?冗談が言えない堅物!?

菅義偉さんは1948年12月6日生まれで、秋田県雄勝郡秋ノ宮村出身です。 家族はご両親と、2人のお姉さん、義偉さん、弟さんで、4人兄弟の長男です。 お父さんの菅和三郎さんは、元南満州鉄道の職員で、当時は花形産業の仕事に就いていました。 待遇も良く子宝にも恵まれて、順風満帆の日々だったようです。 ところが、終戦を迎えて生活環境は一変してしまいます。 家族が味わった苦労からお父さんは、お米だけに頼るのではなく、違う農作物にも目を向けるとして、イチゴの栽培を始めたのです。 「秋の宮いちご」のブランド化に成功して、その後町議会議員などを務めます。 お母さんやお叔父さん、お叔母さんは元教員で、お姉さん2人も高校教諭になりました。 菅義偉さんの出身小学校は雄勝町立秋ノ宮小学校(現:湯沢市立雄勝小学校)です。 家と小学校までは約100mほどしか離れておらず、そのため、友達がいつも押しかけてきたそうです。 とくに月刊冒険王の漫画を読みたくて毎月配達される日は家の前に友達が大勢待っていたそうです。 菅義偉さんは、とても優しい性格の少年で、開封後は友だちに優先で貸し出していたんだとか。 菅義偉さんの出身中学校は雄勝町立秋ノ宮中学校(現:湯沢市立雄勝中学校)。 菅義偉さんは運動神経抜群で、中学時代は野球部に所属しています。 1番打者で守備はサードでした。 スイングフォームが独特で、よく監督に指導されていたそうですが、構えを指導されても、自分のやり方を変えようとしない程の頑固者だったそうです。 独自のスイングを貫けたのは、ちゃんと結果を出せていたからと当時の野球部仲間がおっしゃっています。 結局、監督も指導を諦めたそうですが、現在の性格は既に出来上がっていたようですね。 高校は秋田県立湯沢高等学校に進学し、第3学年では進学組に所属していました。 高校卒業後、「東京へ行けば何か変わるかもしれない」という思いで、農業大学を勧めた父親に反発し上京したものの段ボール工場で働いています。 秋田県にいた頃と変わらない状況を打開すべく、働いて貯めたお金で授業料が一番安かった法政大学法学部政治学科に入学。 法政大学に入学後、ガードマン→新聞社の雑用→カレー屋などのアルバイトをかたっぱしからやっています。 学業とアルバイトで忙しいのに、空手部に所属して副主将を務めています。 三段まで昇格しています。 根性があったんですね。 卒業後は建電設備株式会社(現:株式会社ケーネス)に入社しました。 嘘がつけず、冗談もない堅物! そんな菅義偉さんの気になる年収を徹底調査しました! ■プロフィール 本名:菅義偉(すが よしひで) 愛称:令和おじさん 生年月日:1948年12月6日 出身地:秋田県雄勝郡秋ノ宮村出身 血液型:O型 職業:政治家       ■大学時代は空手部で、三段の腕前! <市会議員> 1975年、政治家を志し、法政大学を通じて第57代衆議院議長中村梅吉秘書の紹介により衆議院議員小此木彦三郎氏の秘書となり、11年間務めます。 1983年、小此木氏の通商産業大臣就任により大臣秘書官に就きました。 1987年、横浜市会議員選挙に出馬し、初当選。 市議を2期務めます。 横浜市政に大きな影響力を持っていた小此木氏の死後、当選回数たった2回だけで小此木氏の代役として秘書時代の人脈を活かして高秀秀信市長から人事案などの相談を受けるなどの活躍をし「影の横浜市長」と呼ばれました。 <衆議院議員> 1996年、第41回衆議院議員総選挙に自民党公認で出馬し初当選。 竹中平蔵総務大臣の時に総務副大臣として情報通信、郵政を担当します。 2006年、自由民主党総裁選挙で再チャレンジ支援議員連盟の立ち上げに参加し、安倍晋三氏を擁立する原動力となります。 9月発足の第1次安倍内閣で総務大臣(郵政民営化担当大臣を兼務)に任命され、また12月には内閣府特命担当大臣の補職辞令を受けました。 2007年、第21回参議院議員通常選挙敗北を受けた内閣改造で、安倍氏が菅氏の内閣官房長官起用を模索しましたが、直前に菅氏に事務所費問題が発覚し実現せず、自民党選挙対策総局長に就任。 選挙対策委員長に古賀誠氏が就任すると、古賀氏に手腕を買われて副委員長として衆院選対策に引き続きあたることになります。 2009年、古賀氏が辞任後、選対委員長代理として総選挙を取り仕切ることになります。 第45回衆議院議員総選挙で5選。 2010年、自民党国会対策副委員長及び広報本部本部長代理に就任。 2011年、自民党組織運動本部長に就任。 2012年、自由民主党総裁選挙に先立ち、甘利明氏の協力を得て安倍晋三元総理の総裁復帰を画策して、麻生太郎氏まで引き込んで安倍氏を総理にします。 […]

南原清隆(ウッチャンナンチャン)の年収は?一般人と結婚!落語、狂言、古典芸能にも挑戦!?

南原清隆さんは1965年2月13日生まれで、香川県高松市出身です。 家族は、お父さんとお母さん、清隆さん、弟さん、妹さん、弟さんの6人家族です。 南原さんは4人兄弟の長男ということになります。 南原さんのお父さんの職業は大工さんだそうです。 大工さんというと、工務店を経営している大工さんと、その工務店に勤務している大工さんがいますがどちらなのかという情報はありませんでした。 実家が大工さんというとテレビ番組のリフォーム企画で有名なヒロミさんやミスチルのボーカル桜井和寿さんが有名です。 ヒロミさんとは、お父さんが大工さんということに加えて、誕生日が同じ1965年2月13日という共通点があって、仲良しです。 南原さんの出身中学校についての情報はありませんでした。 南原さんの出身高校は香川県高松第一高校。 偏差値69の難関校です。 同校は1928年設立の伝統校で、高松高校や丸亀高校などと並んで県内ではトップクラスの進学校です。 同校は一般受験でしか入学できないので、かなりの学力を有していたことは確かです。 南原さんは子供の頃からお笑い好きで、中学生の頃には落語家になることを夢見ていました。 高校時代には落語研究会に所属しています。 しかし、落語家に入門した先輩たちが何人も挫折したのを見て、俳優志望に転向しています。 高松第一高校の有名な卒業生には、教育評論家の尾木直樹さん、ヴァイオリニストの川井郁子さん、作家の大藪春彦さんがいます。 高校卒業後は、横浜放送映画専門学校(現在は日本映画大学)に進学。 当初は俳優志望でしたが、同校で内村光良さんや出川哲朗さんと出会って、お笑い芸人を目指します。 20歳の時に内村さんと「ウッチャンナンチャン」を結成し、「お笑いスター誕生」などに出演。 加山雄三さん、近藤真彦さんのモノマネはお手のもの! そんな南原清隆さんの気になる年収を徹底調査しました! ■プロフィール 本名:南原清隆(なんばら きよたか) 愛称:なんちゃん 生年月日:1965年2月13日 出身地:香川県高松市出身 血液型:AB型 職業:お笑い芸人、司会者、タレント 活動期間:1985年-       ■一般人と結婚して男児が生まれる! 1987年に出川哲朗さんと劇団「SHA・LA・LA」を結成し、舞台俳優としても活動。 コンビは結成3年目に出演した「夢で逢えたら」でダウンタウンとともに大ブレイクします。 以降は「やるならやらねば!」や「ウリナリ」「笑う犬」などの出演番組も多数あります。 1992年に出演した映画「七人のおたく」で日本アカデミー賞新人賞を受賞。 2008年の「その日のまえに」で映画初主演。 司会者やMCとしても活動しており、2011年3月から情報番組「ヒルナンデス」のMCを務めています。 バラエティ番組への出演のほか、スポーツキャスター、記者としても活躍。 朝日新聞特別特派員を皮切りに記者活動もしており、2004年にはテレビ朝日アテネ五輪特別記者も担当、東京運動記者クラブにも入会しています。 私生活では1993年に一般人と結婚。 ジャドーズの「I Love You 〜 あなたは宝物 〜」は南原さんへのウェディングソングとして捧げられました。 相方の内村さんは挙式の2日前、番組収録中に事故に遭い、欠席しています。 2003年・2004年・2006年・2010年開催の『M-1グランプリ』では、売れっ子タレントとして決勝戦審査員を務めました。 2003年から落語、2006年からは狂言と古典芸能に挑戦し、活動の幅を広げています。 2005年3月22日に長男が誕生しました。 南原さんの自宅は高級住宅街の上目黒にあり、桑田佳祐さんとはご近所づきあいして仲が良いです。 南原さんに子供が生まれた時も、桑田佳祐さんの妻の原由子さんが南原さんの自宅を訪ねて、子供服をプレゼントしてくれたこともあったようです。 あまり滑舌が良くなく、仲間内から「カミカミ星人」と言われていじめられることがあります。 かつての番組でもこれをネタにした「カミカミマン」というキャラクターを演じていました(『ウッチャンナンチャンのウリナリ!!』1997年2月7日放送より)。 出演した番組で様々な企画に挑戦。 […]

前田敦子(AKB48)の年収は?旦那の勝地涼とは別居!?AKB48卒業後の年収は?

前田敦子さんは1991年7月10日生まれで、千葉県市川市の出身です。 家族はお父さん、お母さん、3歳年上のお姉さんと敦子さんの4人家族です。 前田敦子さんは幼少期から内気な少女で、幼稚園時代に「ポンキッキ」や「天才てれびくん」などを見て同世代の子供たちが出ているを見て「楽しそうだな」と思っても「自分も出たい」と言い出せるような性格ではありませんでした。 前田さんの出身小学校は、市川市立新浜小学校です。 子供の頃から「家なき子」や「ひとつ屋根の下2」などを見ていて、当時から女優に憧れていました。 子供の頃は家が小さかったこともあって、姉と外で遊ぶことが多かったそうです。 前田さんの出身中学校は、市川市立第七中学校です。 中学校時代まではかなりの人見知りで引っ込み思案だったことから友達が少なかったです。 さらに目立つことも苦手で、授業中に先生に指されることも怖かったとのこと。 当時は部活動は行っておらず、帰宅部でした。 家に帰ると夜まで寝て、夕食を取ってまた寝るみたいな生活を送っていました。 後に3期生としてAKB48に入ることになる仲谷明音さんとは中学校の同級生でした。 中学2年生の時に「秋葉原48」のチラシを目にしますが、最初は怪しいと思っていました。 しかしプロデューサーが秋元康さんだったことや「それぞれの夢へと育っていく場所」というコンセプトに惹かれて、オーディションに応募します。 オーディションでは、ダンスも歌もだめだったことから、「絶対落ちた」と思っていましたが、見事に合格でした。 応募総数7,924名で最終合格者24名。 中学2年生の2月にグループはメジャーデビューを果たしています。 高校は芸能人御用達の日出高校の芸能コース(偏差値42)に進学しました。 当時は既にグループのエースになっていたため、仕事が非常に忙しく、その後通信制の晃陽学園高校に転校して卒業しています。 高校2年生から3年生にかけては、グループは「10年桜」や「涙サプライズ!」「RIVER」などのヒット曲をリリースして人気全盛期に向かっていた頃です。 その間は、ほとんどの楽曲で前田さんはセンターポジションを務めています。 ストイックで、ちょっと暗くて物静かなタイプ! そんな前田敦子さんの気になる年収を徹底調査しました! ■プロフィール 本名:勝地敦子(かつじ あつこ) 愛称:あっちゃん 生年月日:1991年7月10日 出身地:千葉県市川市出身 血液型:A型 職業:歌手、女優 活動期間:2005年-       ■できちゃった婚で男児を出産! 2006年の「ですよねぇ」でテレビドラマ初出演。 2007年4月『あしたの私のつくり方』で映画初出演。 なお、この映画では役作りのために肩まで伸ばしていた髪を短くしています。 10月 – 12月「スワンの馬鹿! 〜こづかい3万円の恋〜」にてテレビドラマ初出演。 12月31日AKB48として「第58回NHK紅白歌合戦」に初出場。 2008年1月 – 3月「栞と紙魚子の怪奇事件簿」で連続ドラマ初主演(南沢奈央さんとのダブル主演)。 2009年7月8日「AKB48 13thシングル 選抜総選挙「神様に誓ってガチです」」で1位となりメディア選抜に選ばれました。 2011年「警視庁110番」イメージキャラクターに就任。 6月4日公開の「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」で映画初主演。 6月22日シングル「Flower」でソロデビュー。 2012年3月25日AKB48コンサート「業務連絡。頼むぞ、片山部長! inさいたまスーパーアリーナ」3日目公演のアンコールにおいて、AKB48を卒業することを発表。 8月27日AKB48劇場で開催された「前田敦子卒業公演」をもってAKB48を卒業。 2013年4月 – […]